2025-06

サハリン

サハリン西海岸に日本の伝書鳩が飛来

6月13日朝、サハリン西海岸に位置するシャフチョルスク(旧塔路)の路上で、鮮やかな色彩のハトが見つかった。鳥類学者はastv.ruに対し、日本の伝書鳩だと説明した。「方向感覚の誤りにより、一部の個体はサハリン島や千島列島にたどり着く。これは...
択捉島の話題

択捉島 道路の真ん中でクマの親子がお昼ご飯?交通が停止

6月12日、択捉島のクリリスク(紗那)とゴリャチエ・クリュチ村(瀬石温泉)を結ぶ道路で3頭の子連れクマが交通を止めた。困惑する運転手たちには目もくれず、彼らは道路の真ん中で昼食をとろうとした。目撃者は「彼らがそこでおいしそうに何を食べていた...
千島列島

北千島・パラムシル島でロシア国旗掲揚 対日戦勝80周年イベントの幕開け

第2回観光・郷土史探訪ツアー「Vクルセ」の参加者が6月12日の「ロシアの日」を祝って、北千島のパラムシル島でロシア国旗を掲げる愛国イベントを開催した。北千島に対するロシアの主権を強調するこの取り組みは、大祖国戦争勝利と軍国主義の日本に対する...
択捉島の話題

択捉島で自動車パレード 6月12日「ロシアの日」

6月12日の「ロシアの日」に合わせて、択捉島で自動車パレードが開催された。統一ロシアの地元支部が主催したこのイベントには、ロシア人コミュニティの代表者、クイビシェフ・コサック協会のコサック、党員ではない一般の島民が参加し、国の主要な祝日を祝...
千島列島

米軍の武力支援はあったのか?! 1945年8月、ソ連軍の占守島侵攻作戦 

第二次大戦最後の戦いとなった北千島・占守島での日ソ戦。ロシア国防省監修「大祖国戦争1941-1945 第4巻シュムシュ上陸とクリル諸島の奪還」(2015年)には、ソ連軍による占守島侵攻直前の1945年8月16日、モスクワ駐在のアメリカ軍使節...
北方領土遺産

南クリル地区80周年に寄せて—
古文書が語る日ソ混住時代「北海道から密入国する日本人をどうすべきか」

1946年4月、サハリン州において民政局が設立された後、南クリル諸島(国後島、色丹島、歯舞群島)では、他の11地区と同様に、レヴォン・アナトリエヴィチ・バブハディヤ大尉を長とする国後地区民政署が設立された。以下は、同氏が署名した最初の文書。...
択捉島の話題

択捉島ゴルノエ村で「社会店舗」の建設始まる

択捉島のゴルノエ村で同島の漁業・農業会社コンチネント・アグロ社の「社会店舗」(社会的に重要な商品の価格を抑えて販売する商店)の建設が始まった。2カ月前に同社のヴァレリー・オクセンユク社長が約300平方メートルの「社会店舗」を建設すると発表し...
千島列島

カムチャツカ半島で千島上陸作戦参加者の墓を発見 軍墓地として認定へ

千島列島上陸作戦に参加したソ連兵ニコライ・スコピンツェフの墓がペトロパブロフスク・カムチャツキーで発見された。埋葬地は軍墓地として認定される予定だ。ロシア連邦保安庁(FSB)の地方支部によると、ニコライ・スコピンツェフは千島列島上陸部隊の先...
未分類

北千島・占守島 千島上陸作戦の戦死者を追悼する献花式開催

1945年8月の千島上陸作戦で亡くなった解放者兵士を追悼する献花式典が北千島シュムシュ島の解放者慰霊碑で行われた。第二次世界大戦に終止符を打ったソ連と軍国主義日本との最後の大規模な戦闘で、赤軍はシュムシュ島の要塞地帯に駐留していた優勢な敵軍...
国後島の話題

国後島にサーフィンの波

国後島のサーフィンの歴史は2020年9月にロシア本土から最初のサーファーが視察のために島に到着したことから始まった。ダニイル・フィリノフ氏(現在は沿海地方サーフィン連盟会長)とロシアサーフィン連盟代表のタチアナ・ドゥドヴァ氏をリーダーとする...