色丹島の穴澗村長を務めたレフ・セディフ氏に「サハリン州名誉市民」の称号授与 色丹島住民では初めて

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サハリン州は北方領土・色丹島のクラボザボツコエ村(穴澗)の村長や島内最大の水産加工場オストロブノイを率いたレフ・セディフ氏に「サハリン州名誉市民」の称号を授与することを決定した。色丹島の住民に授与されるのは初めて。国後島、色丹島、歯舞群島を管轄する南クリル地区行政府が推薦し、州特別委員会が決定した。

「サハリン州名誉市民」の称号は1998年、当時のファルフトジノフ知事が創設。州内に15年以上住み、国家経済のさまざまな分野における職業活動の功績に対して贈られる。現在までにサハリン州の住民66人に授与されている。

レフ・コンスタンチノヴィッチ・セディフ氏は、1949年8月23日、中華人民共和国の軍人家庭に生まれた。ミチュリンスク食品工業大学で缶詰製造技術者・機械工を専攻して卒業後、1967年に色丹島に配属され、クラボザボツコエ水産加工場の缶詰工場の1つで機械工としてキャリアをスタート。1977 年に色丹島を拠点としていたプリモリーブプロムとサハリンリーブプロムの統合により、極東最大の水産業複合施設へと変貌を遂げたオストロブノイ水産加工場の CEO に昇りつめた。同工場は色丹島の 2 最つの集落 (マロクリリスコエ=斜古丹、クラボザボツコエ=穴澗) にある漁船団を含め 28 の部門を傘下に従えていた。

その間、生産工場の建設に加えて、住宅、クラブ、図書館、教育機関、幼稚園、診療所が建設された。水産加工場は全国的に有名で、サンマを含む 32 種類の缶詰が毎年数千万缶生産されていた。5月から10月のサケやサンマの漁期には「学生漁業団」の若者や国内各地からの労働者など最大5,000人が色丹島にやって来た。

レフ・セディフ氏は、その功績により、政府から1994年に「労働功績勲章」、1986年に「名誉勲章」、1995年に「祖国功労勲章2等勲章」などを授与されている。

セディフ氏は、1999年以来、15年間クラボザボツコエ村の行政を率い、2019年に「南クリル地区名誉市民」の称号が贈られた。(Shikotan telegraph 2024/12/9)

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