択捉島に30年以上住み、地元紙「赤い灯台」の記者として働いたアナトリー・サモリュクさんの『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』から、終戦直後、ソ連占領下の択捉島で起きた事件や事故をまとめてみた。
1946年 択捉島沖で漁船沈没 日本人7人を含む21人が行方不明
事故の報告書にはこう書かれている。
1946年12月27日、嵐の海で漁船「チャイカ」が沈没し、ロシア人14人と日本人7人が行方不明になった。
ソキヤ魚加工場に船舶がなかったため、船を救うための十分な措置が適時に講じられなかった。馬力がない船2隻が捜索に派遣されたが、成果はなかった。ソ連軍の航空隊も、我々の再三の要請にもかかわらず、措置を講じなかった。最初は悪天候を理由に挙げ、次に飛行場の凍結を理由にした。漁船は乗組員とともに沈没し、私たちはこの不幸な出来事に対して無力だった。
この悲劇は、魚加工場の管理者がクリル諸島での漁の経験がなかったために起きた可能性が高いことを指摘しなければならない。嵐がほぼ絶え間なく吹き荒れる秋から冬にかけては、船団全体が岸に留まるのが最善だ。そうすれば、人々は生き延び、船は安全である。