2月7日の「北方領土の日」を前に、サハリンのメディアastv.ruに『千島列島 – 簡単な歴史 東京は「北方領土の日」を祝う準備をしている』(2025/2/6執筆者は Lisa Re)と題して「北方領土の日」に関するウソを前提にした記事を掲載している。sakh.onlineにも「困難な運命の土地:ロシアが南クリル諸島を日本に決して譲らない理由」と題した記事が載っているが、タイトルが違うだけで中身は同じものだ。

日本の政府広報オンラインよると、2月7日は1855年に日露間の国境を択捉島とウルップ島の間に定めた「日魯通好条約」が調印された日です。政府は1981年(昭和56年)に、この2月7日を「北方領土の日」と定めました。毎年この日を中心に、領土問題の解決に向けたロシアとの外交交渉を後押しするための様々な行事が全国各地で展開されます。
これに対してastv.ruの記事はこう書いている。
毎年 2 月 7 日、日本は「北方領土の日」を祝っている。政府の支援を受けた少数だが声高な市民グループが東京と北海道北部に集まり、ロシアにいわゆる「北方領土」、具体的には南千島列島の日本領とされる 4 つの島を返還するよう要求している。
1855 年 2 月 7 日、ロシアと日本の間で下田国境貿易条約が締結され、ウルップの南に位置する千島列島の島々が日本に譲渡された。ウルップの北にある残りの千島列島はロシアの一部のままで、サハリン島は両国の共同所有のままであった。
上記の市民が遵守を求めているのは、まさにこのことである。
しかし、ここですぐに疑問が生じます。ロシアがこれらの島々を日本に譲渡したのであれば、それらは「もともと日本のもの」ではなく、ロシアに属していたことになります。なぜなら、自分のものではないものを譲渡することは不可能だからです。実際、これは事実です。発見と開発の権利により、クリル諸島はロシアに属していました。
そもそも記事の前提となる「日魯通行条約」で「ウルップの南に位置する千島列島の島々が日本に譲渡された」ということが自体が嘘である。北方領土でロシアの支配が確立されたことはない。
日魯通好条約
安政元年甲寅十二月二十一日(西暦一八五五年第二月七日魯暦第一月二六日)於下田調印
第二条 今より後日本国と魯西亜国との境「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に在る
へし「ヱトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西
亜に属す「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との問に於て界を分たす是迄仕来の
通たるへし(外務省ウエブサイトより)
ロシア語では
Из Трактата о торговле и границах между Россией и Японией от 26 января (7 февраля) 1855 г.
Статья 2
Отныне границы между Россией и Японией будут проходить между островами Итурупом и Урупом. Весь остров Итуруп принадлежит Японии, а весь остров Уруп и прочие Курильские острова к северу составляют владение России. Что касается острова Крафто (Сахалина), то он остается неразделенным между Россией и Японией, как было до сего времени.
(Подписан в г.Симода (Япония)) (在ロシア日本大使館ウエブサイトより)