《Part 1》リンドバーグ機の「魔空」千島列島上空縦断 窮地を救った落石無線局との交信、ほぼ全記録

北方領土遺産

1931年(昭和6年) 8月、ニューヨークから北太平洋を横断し千島列島沿いに根室を目指していたリンドバーグ夫妻。8月19日、カムチャツカ地方のペトロパブロフスクから根室港まで1443kmを一気に飛行する予定だったが、「千島の魔空」が立ちはだかった。この地方特有のガス(海霧)である。リンディ機は千島列島で3度の不時着水を余儀なくされたが、その窮地を救ったのは落石無線局と千島列島に派遣されていた農林省の海獣保護監視船だった。当時の新聞からリンドバーグ機(以下、リンディ機)のアン夫人が落石無線局と交わした交信記録を「北方領土遺産」として、時系列で整理した。

注) 交信記録は北海道根室振興局が2017年(平成29年12月9日~12月22日)に開催した「北方領土遺産発掘継承事業『リンドバーグ夫妻の北太平洋横断飛行&落石無線電信局』企画展」でまとめた資料をベースに加筆・修正している。

(東京日日新聞1931年8月25日)

ペトロパブロフスクから千島列島中部・計吐夷(けとい)島沖不時着水まで

1931年8月14日 落石無線局がアン夫人の通信を初めてキャッチ

07:05  
14日日午前7時5分から同10分までノーム着水中のリンディ機がセントポール局と通信した。盛んにカムチャッカの気象を受けO・K・R(良く聞こえるか)との符号を放送しているのを落石局小間技手がRA38号の受信機をもって完全に聴取した。波長は前夜、リンディ打ち合わせによる35メートル5である。続いて同7時35分から5分間、セントポールと通信しているのを接受。同8時リンディ機がペトロパブロフスクを呼んでいるのを完全にキャッチした。着水していて微弱ながら聞きうるのだから、空高く飛行中放送すれば感度は素敵なものだろう。ビーチは高いが変化早く電源12ワットから15ワットだったとのことであるが、この第一声をキャッチして落石局員は緊張の度を加えている。なお、小間技手(注:小間清次郎通信士)は、かの飛行船ツェッペリン伯号飛来の時も第一声をキャッチした短波にかけては有名な人である。(東京朝日新聞)

14:30 リンディ機→セントポール局→落石
天候が良ければ15日朝早く出発するよう決定した。当局との無電連絡は昼間は35.5m、夜は22.6mの短波長を使用するからよろしく頼む。14日のノームの気象は霧深く視界は狭い(東京日日)

17:00 リンディ機→セントポール局→落石
種々ご配慮を感謝す。ご指示の通り35.5mにて毎偶数時(グリニッチ時間)の30分に牛んをこう。感度良し。よろしく頼む。本日濃霧なれども次第によくなる模様。明日天気良ければ早朝カラギンに向け出発の予定(東京朝日)

落石局ではリンドバーグ機出発とともに短波長35.5m受信機を調整して聴取に努めている。しかし、セントポール無電局では午前5時33分よリンドバーグ機と無電連絡をとって盛んに通信し、気象など送っているのを落石局で傍受しているので、片平局長自らRA35号短波長受信機でリンドバーグ機の無電を傍受すべく努力している。しかし、午前10時に至るもリンドバーグの無電をキャッチすることができないので、カムチャッカ・オリュートルスキー付近にある信濃丸、神洋丸及びカラギンスキーにある交通丸などに手配して機影、爆音を聴取した場合、速報させることになった(東京日日)

1931年8月15日 ペトロパブロフスク断念、カラギンスキーに着水

12:40 リンディ機→落石無線
東経172度北緯62度のクラトカセ湾沖オリエートル東上空を航行中である。遅くても16時にカラギンスキーに着く(東京朝日新聞)

12:45 リンディ機→落石
今カムチャッカ・クラトカヤ岬をペトロパブロフスクに向け飛行中(北海タイムス)

15:50 落石がリンディ機の無電傍受
リンディ―機はペトロパブロフスク直行を断念し、本日午後3時50分、カラギンスキーに無事着水した (北海タイムス)

1931年8月16日 カラジンスキーから時速95ノット、ペトロに着水

07:00 セントポール局→落石
セントポール局を経由してリンディ機からカムチャッカ方面の気象について問い合わせ。
カラギンスキーを6時に出発してペトロへ向かう予定だったが、天候を見定めるため9時~10時までに出発する(北海タイムス)

10:45 リンディ機→落石
リンディ機はカラジンスキーを出発し、時速95ノットの速力をもってペトロパブロフスクに向かって飛行中(北海タイムス)

12:00
リンディ機はオゼルナヤ上空を95里の速力で飛び午後1時に南カムサッカ岬を通過しペトロへは午後3時から4時までに着く予定である(釧路新聞)

リンディ機は午後3時ペトロパブロフスクに無事着水し機翼を休めた(釧路新聞)

22:20 リンディ機→落石
ペトロパブロフスクに到着したリンディ夫妻は17日は休養、ペトロ—根室間の飛行は18日に決行の予定(東京朝日新聞)

午後3時ペトロパブロフスクに着水したリンディ機とは交信ができず、着水前後の模様並びに明日の予定一切究明せぬが、落石局はペトロパブロフスク局に対して短波34.7mで午後6時まで盛んに呼び出し続けたが交信なきため、一旦打ち切り。午後10時のペトロパブロフスク局との連絡で、中部千島から根室方面にかけて今夜南寄りの風、ガスなく晴勝ち。明日も風同じ、晴れ時々曇り、飛行条件良しとの気象を通報した。17日はインディ機の無電を予定通りキャッチするため片平局長以下職員総出勤で活動を続けている(北海タイムス)

リンディ機→落石
ペトロパブロフスクのインディ機から18日午前6時に出発する予定との情報を受けた落石局は、南部千島及び根室付近の気象照会に対して、以下のごとくリンディ機に送った。ペトロパブロフスク付近は濃霧なく西寄りの微風。海上静穏、当分飛行日和が続く見込み。国後島付近は風なく海面穏やか。根室付近は夜濃霧押し寄せ、昼はカラリと晴れて風なし。以上の気象からおしてリンディ機の根室飛行は極めて容易とみられている(北海タイムス)

1931年8月17日 リンディ機はいまだペトロを出発せず

08:00 落石→ペトロパブロフスク局
落石無電局は17日午前2時から短波無電35mでリンディ機の消息把握に努めたが、午前8時までに何等の交信なし。本日も引き続きペトロ付近にあるオリンピア丸及びカム河口の神武丸、交通丸と交信すべく局員総動員で努力中である(北海タイムス)

國際丸→落石
リンディ機は18日出発の予定を変更、17日朝出発の準備を始めたとの報があったので、落石無電局は出発の報を待ち受けていたが、ペトロ港外に停泊中の第百國際丸からの無電によればリンディ機はいまだペトロを出発せず、とのことである(東京朝日新聞)

09:30 リンディ機→幌筵無電局
リンディ機から北千島・幌筵(ぱらむしる)無電局に気象情報の照会があり、同局は「ガス極めて深し」と返電。その後通信が途切れてしまったため、幌筵局では600m波長でリンディ機に交信を試みたが応答がなかった(北海タイムス)

9:50 リンディ機→落石
リンディ機は18日ペトロパブロフスク出発の予定であったが、17日突然根室へ出発すべく目下準備中との入電があった(小樽新聞)

11:50 國際丸→落石
リンディ機は17日飛行すると報じてきたが、午前11時50分に至るも何ら情報がないところから、17日の出発は見合わせたものと推される(北海タイムス)
「第百国際丸」
国際工船漁業が昭和5年5月に建造、259トン。北洋の荒海向けに建造された優秀鉄船で短波・長波 の2つの最新式無線送受信機を装備していた

14:40 落石→逓信省
リンディ機はペトロパブロフスク出発の報無く、第百國際丸の語るところによれば今だ出発せる模様無く、最早17日休養することは確実となった(小樽新聞)

22:10 ペトロ→落石
18日天気が良ければ出発の予定(東京朝日新聞)

1931年8月18日 千島上空濃霧のためペトロで「ゆるゆる休養」

05:00 落石→ペトロ局
ペトロ局経由でリンディ機に以下の気象情報送信。北千島(幌筵)方面は西風2m、ガス深く視界狭く飛行に適さず。中部千島は午前5時頃の観測で曇り西風1m、視界3里、海上平穏なるもガス次第に押し寄せる。コンディションは良くない。得撫島沖に低気圧があり天気下り坂(北海タイムス)

07:00 ペトロ→落石
ペトロで一夜を明かしたリンディ機は、今朝根室に向かって、晴れの日本領土入りする予定であったが、昨夜から荒れ出した天候が回復せず、急ぐ旅でもないからと本日は出発を見合わせ、ゆるゆる休養することとなった(釧路新聞)

07:20 リンディ機→落石
リンディ機から15分間にわたり無電受信。それによると、ペトロはガスのため、18日は出発せず、天気よければ19日飛ぶ予定で、18日は休養する。(東京日日新聞)

リンディ機は19日朝出発することに決定した。出発時間は4時頃と想定(東京朝日新聞)

1931年8月19日 ペトロ出発 濃霧に突入、計吐夷島沖に不時着水 

06:00 落石→ペトロ
落石よりペトロパブロフスク局に幌筵島(ぱらむしるとう)方面の気象を送ったが午前8時まではペトロよりもリンディ機からも情報なく出発するや否や今の所一切不明である(小樽新聞)

10:45 ペトロから897マイル、根室着は18時~19時か
リンディ機は午前8時45分に出発した、ペトロ根室間は897マイルあり、根室着は18時~19時までの間とみられる(東京日日新聞)

11:00 リンディ機→落石
日本時間午前10時35分(後に同10時45分に訂正) に出発した。離水が難しかったため遅れた(北海タイムス)

12:20 リンディ機→落石 「今、日本の領海に入る」
「午後零時20分、われらは今、日本の領海に入る」(北海タイムス)

12:30 リンディ機→落石
12時の位置は、東経156度20分北緯50度3分、占守島南端の東5キロメートルを飛行中(小樽新聞)

リンディ機が通過した占守島(しゅむしゅとう)沖合より新知島までは496km所要時間3時間、さらに新知島から根室までは675km、同4時間を要する予定(東京朝日新聞)

13:20 國際丸→落石
新知島付近にいる第百國際丸より「今の天候はガス深く視界が極めて狭い」(北海タイムス)

14:00 リンディ機→落石
アン夫人から無線があり、飛行機は新知島(しんしるとう)の北に位置する小諸島のひとつ、松輪島(まつわじま)に接近しつつある(北海タイムス)

14:20 リンディ機→落石
機の位置は松輪島の東7kmにある(東京日日新聞)

14:30 リンディ機→落石
「われらは松輪島に近づいている」(北海タイムス)

14:45 國際丸→落石
リンディ機はまだ見えぬ、何も聞こえぬ。霧はますます深くなる。本船は新知島の東方にある。(小樽新聞)

15:00 リンディ機→落石 「激しいガスの中を飛行、位置わからない」
リンディ機から根室付近の気象の問い合わせがあったが、同機は今や激しいガスの中を飛行しているので正確な位置が分からない(北海タイムス)

15:25 リンディ機→落石
アン夫人「落石無電の発信する無電を聞くことが出来るが、音色が細いのでもう少し強く、遅くたたくようお願いする」(東京日日新聞)

15:30 リンディ機→落石
リンディ機より落石無電に対し根室の天候問合せあり。同機の位置は濃霧のため識別不能。もう少し待てとの通信あり。(小樽新聞)

15:40
日本電報によると、アン夫人から濃霧の中を飛行中と無線連絡が入った。夫妻は飛行の続行に確信が持てないので、根室上空の気象情報を知らせて欲しいと依頼してきた。

16:00 リンディ機↔落石 「巨大な乱雲、前進不可能、どこに着水したらよいか」
「位置はガスでわからぬ。前方に雲があるから引き返している。どこに着水したらよいか」との問い合わせあり。根室出張中の田中航空官よりリンディ機に対し「新知島北端、武魯頓湾に不時着するよう指示したが、リンディ機は4時頃、南得撫水道付近から引き返した(東京朝日)

午後4時、落石局よりリンディ機の位置を問いたのに対して「深い霧で判らぬ。数千フィートの嵐の雲が前にあるので新知に向かって引き返している。どこに着いたらよいか」と問いてきた。新知島武魯頓湾に不時着水するものと思われる(北海タイムス)

機の位置は霧で判らない。数千フィートの嵐が前にあるので新知島に向かって引き返し、落石局に着水場の教えを求めて来たが、落石局では武魯頓湾を指定した(東京日日新聞)

新知島を通過したるリンディ機より午後4時、南得撫水道に差し掛かるや前方に数千フィートの乱雲あり。前進不可能につき新知島に向け引き返しつつあり。何れに着水すべきや照会ありたるを以て、田中航空官は直ちに逓信省に新知島武魯頓湾に着水地指定方を要請すると共にリンディ機に対しても、その旨指定した(小樽新聞)

16:28 リンディ機⇒落石 「武魯頓湾が見つからない」
新知島付近に低気圧があり、難航を続けている。武魯頓湾を探しているが、いまだ着水地が見つからない(東京日日新聞)

16:30 落石→國際丸 第百國際丸にリンディ機の救助を要請
落石局はリンディ機の不時着水の報を受けるや新知島付近を航海中の第百國際丸に救助を打電。同船はただちに着水地に向かって急行した(北海タイムス)

16:35
新知島付近にいる第百國際丸を救助のため武魯頓湾に急行、万一の場合に備え救助の手配をした。リンディ機は密雲のため難航し、密雲を逃れようと焦っている(東京日日新聞)

17:04 リンディ機→落石 「チャンス!!」
リンディ機より、ただ「チャンス!!」と一言発信してきた。あるいは着水の機会を見出したのかと思われる(東京日日新聞)

17:04 落石→新知丸 「絶えずサイレンを鳴らし着水を支援せよ」
リンディ機よりその後何等の通信なく懸念されているが、武魯頓湾には新知丸停泊中。落石無電局長より武魯頓湾が濃霧にて着水困難をおもんばかって、同船に対し國際丸を通じて絶えずサイレンを鳴らし着水に便宜を図るよう依頼した(小樽新聞)

中千島・新知島(シンシル)の武魯頓(ムロトン)湾に停泊する新知丸。農林省の膃肭獣(オットセイ)監視船(「千島写真帖」北海道庁、昭和9年刊より)

17:11 新知丸→落石
リンディ機の不時着水警戒を依頼された新知丸よりの無電によれば、同船は新知島清水湾に入港、絶えずサイレンを鳴らしている。波の音のみにて爆音らしきもの聞こえず依然リンディ機より電信なく消息全く不明である(小樽新聞)

17:20
新知島の東側には國際丸、西側には新知丸があってリンディ機の繫留にあたっているが、濃霧深く、午後5時20分時点でリンディ機を認めていない。(北海タイムス)

18:20 リンディ機→落石 「ガスのため計吐夷島の海岸に着水」
午後4過ぎに引き返したと打電後、安否を気遣われていたリンディ機からようやく発信があった。「武魯頓湾に着水しようとしたが、ガスのため同湾から30マイルの北方の計吐夷島(けといとう、武魯頓湾の北方の島)の海岸200mの洋上に着水する」(後に着水時間は午後4時45分と判明)(北海タイムス)

(「汎交通」78(3)日本交通協会1978年3月より)

18:30 リンディ機→落石 「事故にあらず、援助に及ばず」
武魯頓湾に着水できず、16時45分に計吐夷島南方洋上約200mの所に着水した。天気ならば明朝根室に向かう。不良ならば武魯頓湾に向かう。明朝更に落石を呼ぶ。種々ご配慮に深く謝す。事故にあらざるをもって援助に及ばず。今晩、嵐はないか(東京朝日新聞)

18:49 落石→新知丸 「リンディ機の救助に急行せよ」
新知島清水湾の新知丸に対し、ただちに救助急行方手配したが嵐の襲来が懸念されている(小樽新聞)

19:30 リンディ機→落石
リンディ機が不時着水したのは計吐夷島南東海上で武魯頓湾から14マイルである(北海タイムス)

新知丸→落石 「海上暗く救援不可能」
救援の命を受けた新知丸からは海上暗く救援不可能と打電してきた(小樽新聞)

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