色丹島の子供たちが「戦車の丘」訪問 ソ連時代のIS-2、IS-3戦車に触れて歴史を学ぶ

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大祖国戦争戦勝80周年を前に、色丹島の子供たちがゴロベツ山のタンコバヤ・ソプカ(戦車の丘、標高219m)を訪れ、大祖国戦争で名高いソ連重戦車の装甲に直接触れて歴史を感じ取った。タンコバヤ・ソプカには、敵の上陸を阻止するため1970年代後半から1980年代初頭にかけて、戦車射撃陣地が整備された。ソ連のIS-3戦車とIS-2戦車は自力で丘を登り、その後エンジンが解体され、エンジン室に弾薬が補充された。現在もその場に凍結したまま、クラボヴァヤ湾(アナマ湾)の入り口を「守り」続けている。

ソ連重戦車IS-2は、全備重量46トン、乗員4名、装甲は車体前面100~120mm、車体側面90~120mm、車体後面60mm、車体底面20mm、砲塔前面100mm。武装は122mm D-25T機関砲、7.62mm DT機関銃3挺、12.7mm DShK機関銃1挺(1944年以降)、砲弾:28発。1943年から1945年にかけて、合計3,395両が生産された。

IS-3重戦車は、全備重量45.8トン、乗員4名、装甲は車体20~110mm、砲塔110~220mm、砲身前面および砲塔前面装甲250mm、V型ディーゼルエンジン出力520馬力、武装は122mm D-25T機関砲、弾薬28発、12.7mm DShK機関銃(側面装甲250発)、7.62mm DTM機関銃(側面装甲756発)。IS-3戦車は1945年5月に生産ラインから出荷されたため、大祖国戦争(独ソ戦)には投入されなかったが、1945年9月7日、ベルリン連合軍パレードで初公開された。この戦車は1945年から1946年のわずか1年間しか生産されなかったが、その改良型を含め合計2,311両が生産された。(kurilnews.ru 2025/5/5)

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