択捉島・紗那沼に2度目の不時着水から択捉島出発まで
1931年8月22日 択捉島・紗那公会堂で歓迎会、旅館で1泊
15:30 リンディ機→落石 得撫島東北端5マイルを飛行中
北緯46度18分東経150度13分、速力92ノット、2千フィートの高度を飛行中。得撫島(うるっぷとう)海岸は霧で、南東海岸を飛んでいる。位置は得撫島東北端5マイル(小樽新聞)
15:30 リンディ機→落石 濃霧深く視界30メートル
得撫島の北端を飛行している。根室付近は濃霧ますます深く視界30mぐらいである(北海タイムス)
15:40 リンディ機→落石 根室着は午後6時40分の見込み
目下の位置は択捉島の北25マイル。なお同機の時速は従来の95海里を92海里に減じて飛行中。根室着は午後6時40分頃の見込み(小樽新聞)
16:00 落石→リンディ機 猛烈な濃霧、択捉島に不時着水せよ
午後4時頃、根室地方は猛烈な濃霧となったので着水全然不可能のため田中航空官より、リンディ機に対し紗那別飛湾(択捉島)に不時着水するよう通報した(北海タイムス)
16:30 落石→リンディ機
根室のガスは晴れる見込みなく、リンディ機の飛行速力92ノットでは根室着は7時頃となり、すでに暗くなるので着水危険なるをもって、協議の結果田中航空官より4時30分にリンディ機と連絡をとり、択捉島・別飛に着水するよう忠告した(小樽新聞)
16:55 リンディ機→落石 択捉島・紗那港内、船舶多く着水出来ず
択捉島・紗那の上空を旋回している(小樽新聞)
リンディ機は午後5時、択捉島・紗那港に着水しようとしたが港内に船舶が多く着水出来ず。さらに旋回し、紗那から14町離れている紗那沼に午後5時5分着水した(小樽新聞)
17:05 択捉島・紗那沼に不時着水
本日(22日)、新知島武魯頓湾を出発し根室に向かったリンディ機だったが、根室付近農務深く着水困難のため午後5時、択捉島中央部北岸の紗那湾に向い、同湾に不時着しようとしたが、港内船舶多数停泊し、5分間旋回の後、5時5分無事着水した。不時着水した場所は紗那市街東15町離れたサケ・マス孵化場がある周囲約4マイルの紗那沼である(東京朝日新聞)
17:50 択捉島紗那局→落石
リンディ大佐は明日(23日)もしガスなく天候良好ならば早朝出発根室に向かいたいと語った(北海タイムス)
【択捉島・紗那に上陸後のリンディ夫妻の動き】
紗那滞在時間21時間20分
8月22日
17:05 択捉島紗那沼に不時着水
近藤紗那警察署長ら出迎え(東京朝日)
法伝寺に案内、休憩(小樽新聞)
臨時村議会で歓迎会決定(東京日日)
20:00 リンディ夫妻、徒歩で紗那村入り
21:00 紗那役場(公会堂)で官民歓迎会
21:40 ラジオから「リンディ夫妻、熊に襲撃される憂いあり」というニュースを聴く
22:00 歓迎会終了、大地村長と倉澤駅逓(旅館)へ(北海タイムス)
近藤警察署長と倉澤駅逓で紅茶を飲みながら歓談(東京朝日)
23:00 就寝
8月23日
08:00 ドテラ姿で窓から空を仰ぎ天気を心配
朝食はサケの塩焼き、大根の味噌汁、ミルク
リンディは紗那沼に行き、愛機を修理
アン夫人はコバルト色の洋服に着替え、東京の学生・金子進氏の案内で散策
雨のため駅逓に戻り蓄音機で「奴さん」「かっぽれ」を聴く
駅逓の人から日本語を学ぶ
雨が上がり、再び散歩へ
11:00 駅逓に戻る
11:45 落石無線局から「根室天気良し」と入電
夫妻は昼食とらずコーヒー1杯飲む
駅逓の人々と記念写真撮影、サインに応じる
紗那警察署前で官吏と記念写真撮影
13:00 紗那警察署から紗那沼へ出発
湖畔で愛機を警戒した消防組員らと握手
13:50 リンディ夫妻シリウス号に乗り込む
14:25 紗那沼を離水(北海タイムス)
「警察は神経をとがらせ、まるでスパイ容疑。写真撮影も一切禁じた」
岩崎良孝さん(元紗那郵便局職員)の証言
昭和6年8月20日(※正しくは8月22日)の午後、紗那村上空に爆音をとどろかせる一機の怪鳥が飛来した。その怪鳥は郊外にあるシャナ沼に着水、機内から2人の外人夫妻が降り立ったのである。それが有名なリンドバーグ夫妻。それはともかく村内は大騒ぎ「あれは外人のスパイではないか」「そんなことはあるまい。どうみても夫婦だ」と―ケンケンゴウゴウ。紗那村部長派出所から警官が急行、そのあとに部落民がぞろぞろ。お祭りどころの騒ぎではなかった。
スパイ容疑はともかくとしても部落民としてははじめて見る飛行機に興味があった。湖水に着水した飛行機を周囲からながめ、これまたいろいろの説を披露し合うというありさま。事情を悟った局長は私に『どうやら不時着したようだ。どこかに連絡することもあると思うので君行ってくれ』という。そう言われても単語ぐらいなら養成所で習ったこともあり、ある程度わかるにしても会話となると―と出渋ったが“命令とあらばやむを得ない”とばかり、電信紙を持って現場に急行した。湖畔に係留してあったボートで夫妻が立っている飛行機まで乗りつけ、単語を並べて電信用紙を渡したが、夫妻は笑顔で『ノー』―。冷汗三斗というが、わが顔からはそれに等しい冷汗がいっぺんに吹き出た。
これに反し警察は神経をとがらせ、まるでスパイ容疑。写真撮影も一切禁じたのには夫妻は一番閉口したようだ。しかし村では大歓迎、近くの川から捕りたてのサケでフライ、農家からしぼりたての牛乳を取り寄せるなどいたりつくせり。とりわけアン夫人は島一面がハマナスの花盛りであったことに気をよくし「ジャパン・ローズ」を連発し、近くを歩き回っていた。印象的であった。
夫妻は三日間滞在、二十四日(※紗那の滞在時間は約21時間、23日午後に出発)紗那を後にしたがその間、夫妻の行く先々で村の子供が後についての大名行列。それでも夫妻はいやな顔ひとつ見せず笑顔をたやさなかった。
夫妻はその後霞ヶ浦に到着、太平洋横断飛行に成功した新聞を十日遅れで読み、陰ながらその成功を祝った。
紗那村民がにわか特派員 東京朝日にリンディ夫妻の記事を送稿
当時、択捉島・紗那に住んでいた高城重吉さん(千島歯舞諸島居住者連盟の初代理事長)が「1字2厘の特約料金」で、東京朝日新聞社に紗那からリンディ夫妻の記事を送っている。
思わぬ珍客を迎え素ぼくな村人の喜び 村役場楼上で歓迎宴
【紗那特電二十二日午後十時半本社着】此島にはかつて聞いた事のないけたたましい爆音が霧深き空から聞こえてきた。「リンドバーグ機だ!」とはたれもが直感し、此異様な爆音を聞知ったものは皆屋外に出で、音のする彼方霧の空仰いだが、その機影を見る事が出来なかった。午後5時少し前の事だった。間もなくその爆音は消えてリンディ機が紗那沼に着水したという知らせがあった。村から十五丁ほど隔たったその沼へ村民は一せいに走った。沼に着水したリンディ夫妻は馳せつけた村民等の手によって直ちに上陸したが、非常な元気で無人島計吐夷(けとい)島洋上で丸2日間過ごした人とも思われない。不時着水の原因についてはただ「濃霧が深く飛行にコンディションが悪かった」と多くを語らなかったが、夫妻とも終始ニコニコして村民に案内されながらまず村役場に着いた。村民は女子供まで沿道に出てこの遠来の珍客を迎えて歓迎の意を表すと、夫妻も又これに応え、さすがにうれしそうだった。かくて漸く北端の島にも夕暗が迫り、村長始め村の有志は村役場に集合、純ぼくな村民の心からの歓迎の宴が張られた。夫妻は「天候さえよければ明日(23日)根室に飛行する」といっていたが、歓迎会が終わって午後10時頃、倉澤旅館に入った。(東京朝日新聞 昭和6年8月23日(日曜日))
気軽そのもの紗那の一夜 村人も口笛で呼止めたリンデイ夫妻
【紗那二十三日発特電】22日夜、近藤紗那警察署長等の一行が湖畔に迎えたリンディ夫妻はいとも元気に紗那まで徒歩で来た。思わぬ空の珍客をこの島に迎えて歓呼する人に夫妻は「サンキュウ、サンキュウ」の言葉を送り、村人はこ躍りして喜び合った。夫妻は着水後紗那役場の官民歓迎会に臨みランプの下でサイダーを飲みリンゴを食べながらいとも賑やかな歓談が交わされ、午後9時倉澤旅館に引きあげたが、倉澤旅館では最上等の間を夫妻にあてて、署長近藤氏等と紅茶をすすりながら約30分歓談した。宿では同旅館の親戚で避暑に来ている東京高師理科3年生の金子進君がホテルボーイの役を立派に果たして、夫妻も宿が余程気に入ったと見え「ザ・ホテル・ベリイ・ファイン」を繰り返したが、空の勇者は身長高く夜具をのべても一枚では足らず二枚つないで寝(やす)み、夜の11時から朝の8時まで熟睡した。今朝8時夫妻は元気よく起床、朝食はリンディの好みで紗那名物のサケの塩焼に大根の味そしる。リンデイは「ベリイ・ファイン」といいながらミルクと砂糖をかけて2人とも4、5杯づつ食べた。これが空の勇者かと思われるばかりの気軽さで、又アン夫人は見るからに美しい明るい女性。夫妻はとても愛敬者である。朝食後リンディは湖畔の愛機の手入れに向い、アン夫人は金子君等の案内で紗那特有の濱梨(※ハマナス)の花を見てはバラかと聞き、途中のお宮を見ては珍しがっていた。あいにくの雨で途中から宿に戻り蓄音機をかけて「奴さん」「かっぽれ」などのレコードに聞きいり、宿の人達と日本語の稽古などをした。やがて雨も晴れたので再び散歩に出て盛んに紗那の景色誉め、午前11時頃帰宿の途中、村人はリンディの姿を見て遠くから口笛で呼止めた。やがて根室の田中航空官から「天候良好」との入電があったので直ぐ根室にたつといって宿の人達と記念撮影をなし「紗那の人は親切で正しい人達だ」とほめながら警察署に至り官公吏と記念撮影の後、直ぐ湖畔に向い、昨夜来機体警戒の任に当たっていた消防組員に一人々々握手し、それより30分の後いかりを掲げてプロペラが回った。時に午後二時二十分。水を蹴って機は一路根室の方へ飛び去り村民等は安全なる飛行を祈って手にハンケチを振って見送ったのであった。(東京朝日新聞 昭和6年8月24日(月曜日))
「紗那王」が通訳 夫妻大喜びドテラで寛ぐ
【紗那発午後零時二十分本社着電】紗那全村民の歓迎を受けた後リンデイ夫妻は午後10時過ぎ、さけとますで名高い紗那河畔倉澤旅館に寛いだ。魔の濃霧にはばまれ計吐夷島に不時着水以来丸四日目である。一夜を明かしたリンドバーグ夫妻は早朝起き出で、たてじまのドテラに寛ぎ天候を気遣いながら新鮮な牛乳で軽い朝食を取った。夫人はドテラのえりを左前に着込んでほほ笑んでいた。紗那沼の愛機は昨夜来警察官、消防夫その他に護られ、夫妻のそばにはかつて紗那王として全島に知られた高城慶白氏(※重吉さんのこと)鮮やかな通訳でさの不便もなく村民と日米交歓をなし、サンキューを連発していたが、リンドバーグ氏は愛機手入に専念し、夫人はスマートなコバルト色の服に着替え紗那丘に散策を試み、旅の疲れなど顔に見えぬ元気だった。(東京朝日新聞 昭和6年8月25日)
上の写真はリンディ夫妻の出発直前、昭和6年8月23日午後0時30分~午後1時の間に紗那警察署前で、当時紗那に住んでいた山本勝四郎さん(紗那営林署区職員)が撮影したもので、写っている人が特定されている。写真右下にはK.YAMAMOTOの刻印がある
1931年8月23日 択捉島・紗那沼を出発、根室上空まで来て消息途絶える
紗那に不時着したリンディ夫妻は昨夜警官、消防、青年団外有志に迎えられて紗那駅逓に一泊、今朝出発の用意したが、紗那付近雷雨あり。根室も7時まで雷雨あり。間もなく晴れたが、なお天候動揺しつつあるので田中航空官は今しばらく見合せ、天候の回復を待って飛ぶよう打電した。紗那、根室間直線距離152海里であるから飛び出せば1時間40分で到着する(釧路新聞)
12:35
エンジンの調子が非常に良くコースの気象が良ければ13:30までに根室に向けて出発する(北海タイムス)
13:00 択捉島・紗那局→落石
リンディ機はコースの天候が良いので飯も食わずに急ぎ出発の準備に取りかかり、今エンジンを動かしている(釧路新聞)
14:25
紗那沼にて天候の回復をまっていたリンディ夫妻はようやく天候が飛行に適当になったので23日午後2時25分愛機のエンジンを調整し直ちに搭乗、出発し一路根室に向かった(小樽新聞)
14:30 今日根室はまたもガスが来襲
根室までは順調に飛んで2時間を要するので午後4時30分ないし5時には飛来するものと見られる。今日根室はまたもガスが来襲し、暫次はげしくなるらしい(小樽新聞)
15:00 リンディ機→落石
国後島の乳呑路(ちのみのち)上空を通過した(小樽新聞)
16:25 リンディ機→落石 太平洋から猛烈なガス、根室町は陰惨な灰色
14時30分頃、太平洋から猛烈なガスが起こり根室町は全く陰惨な灰色に包まれ、このままであれば着水は不可能とみられる
16:25 リンディ機→落石
20分以内に根室へ着くであろう(小樽新聞)
16:28 リンディ機→落石 15分後に根室に着水
リンディ機からの15分後に根室に着水との無電に対し、田中航空官は根室港はガス深きため着水困難だから北海岸に着水するよう返信した(東京朝日新聞)
リンディ機→落石
リンディ機は飛行の途中、無電のアンテナが壊れたため、危険をおかして飛行しながら修繕を行った(小樽新聞)
16:45 猛烈な濃霧で着水出来ず
リンディ機は午後4時45分、一旦根室湾に着水の姿勢を取ったが猛烈な濃霧で着水出来ず(釧路新聞)
16:50 リンディ機→落石
上空旋回を続けるアン夫人より「霧に包まれリンディ操縦中、その作業を助けるため無線発信出来ず」(釧路新聞)
16:50 リンディ機→落石
落石無電局より「今根室の上空にいるのか」との問いに対してリンデイ機より「今リンデイは操縦に忙しく位置を聞くこと出来ない」との返事あり(小樽新聞)
16:55 リンディ機→落石 霧深かし、水平線見えず
「霧深かし。水平線見えず」その後連絡は全く途絶えた(小樽新聞)