択捉島東岸、太平洋に口をあけた単冠湾に集結していた空母6隻を含む海軍機動部隊30隻がハワイ真珠湾に向けて密かに出撃したのは1941年11月26日午前6時だった。
12月8日、機動部隊が真珠湾に奇襲攻撃をかけ、大戦果を挙げて日本中を狂喜させてからわずか7カ月後。1942年7月24日から26日にかけて、択捉島のオホーツク海側にある留別、宇多須都、内保と単冠湾西岸の天寧が米潜水艦の砲撃を受けた。根室との定期航路の貨客船や漁船、運搬船など6隻が沈没、死者行方不明者は33人に上った。
攻撃した米潜水艦は太平洋艦隊潜水艦部隊所属の「USSナーワル(NARWHAL)」で、真珠湾が攻撃を受けた日はドッグに入っていて、日本の雷撃機の攻撃を免れ、無傷のまま残った。
「島の人たちは真珠湾攻撃の復讐と受け取った」(目撃した留別在住の阿部登さん=「忍従の海 北方領土の28年」読売新聞社1973より)

