1945年8月「占守島の戦い」で戦死 ソ連兵1人の遺体と懐中時計など遺品を発掘

千島列島

北千島シュムシユ島(占守島)で、1945年8月の日本軍との戦いで亡くなったソ連軍兵士1人の遺体と所持品とみられる懐中時計などが発見された。

7月1日から始まった国際捜索隊「クリル上陸作戦の足跡を辿る」の遺体捜索活動の中で、「ロシア捜索運動」ヴォルゴグラード州支部のアンドレイ・オレシュキン事務局長が、高台の一つの麓で見つけた。遺体のそばには、サブマシンガンPPSh-41(バラライカやマンドリンと呼ばれた)の弾薬やRPG-43対戦車手榴弾、懐中時計と水筒が埋まっていた。水筒には「ブラヴィン」と「I.E.コレソフ」という2人の名前が刻まれていた。

捜索隊は、国家情報システム「人民の記憶」データベースで、兵士に関する情報を発見した。それによると、1人は「コレソフ・イワン・エルミロヴィチ」で1923年生まれ。第373狙撃連隊、第101狙撃師団所属の赤軍兵士。「勇気」勲章受章。「171高地への攻撃中、部隊の一員としてトーチカを封鎖し、手榴弾を投げ込み、トーチカの銃眼に石を投げ込んだ。攻撃中、彼は日本人2人を殺害し、頭に手榴弾による傷を負った」ことが分かった。

しかし、アーカイブデータには「コレソフ」の死亡に関する情報は記載されていなかった。また、水筒に記されていたもう一人の名前に関する情報は記載されていなかった。捜索隊は現在、「コレソフ」の運命を明らかにするため、親族を探している。

「ロシア捜索運動」サハリン州支部は「ソ連軍はクリル諸島(北方四島を含む千島列島)上陸作戦で多大な損失を被ったが、兵士と将校たちの英雄的行為と勇気のおかげで、日本軍守備隊の降伏とクリル諸島の解放を達成することができた」と強調した。(astv.ru 2025/7/13)

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