ナゾ多き島
アトラソフ島(阿頼度島)–千島列島の中でも最も辺鄙で過酷な環境にある島の一つで、戦後の女性労働コロニーの遺跡が発見された。この遺跡は長らく忘れ去られ、アトラソフ島自体も無人のままで、事実上アクセス不可能な状態だった。しかし、昨年夏にこの地を訪れた研究者たちは、オホーツク海のこの一角の運命を改めて見つめ直すきっかけとなる遺跡を発見した。

千島列島の自然と歴史
カムチャツカ半島から日本まで、1,000キロメートル以上にわたって延びる千島列島。ほとんどの島は長らく無人島のままだった。厳しい気候、複雑な物流、そして火山性地形のため、永住には適していない。アトラソフ島はその好例だ。完璧な円錐形を持つ火山島で、「ロシアの冷蔵庫」とも呼ばれるオホーツク海に囲まれている。夏でも海は氷のように冷たいままだ。
しかし、昔からそうだったわけではない。かつてこの島には、千島列島の先住民であるアイヌ人が住んでいた。19世紀に領土が日本に割譲された後、彼らはさらに南方へ移住させられ、徐々に地元住民と融合していった。
ソ連の遺産:残骸と風の収容所
1945年以降、千島列島の多くの地域に軍事基地、前哨基地、そして漁業集団農場が出現した。探検隊に同行した船員によると、ある島では1940年代後半に、グラーグ制(矯正収容所)の一環として女性労働コロニーが開設された。
記録によると、女性囚人たちは魚の加工や毛皮農場で働いていた。風、湿気、火山性の地形、そして冷たい水に完全に囲まれている島での生活は過酷だった。1950年代後半には、この労働コロニーは閉鎖され、国境警備隊と灯台だけが島に残った。
ハイマツの下に眠るもの
探検隊員たちはアトラソフ島で一日中過ごした。原野を抜けてアライド山の頂上まで登り、夕方にはかつての集落の跡を調査することができた。建物を見つけるのは困難だった。ハイマツの密生した茂みにほとんど隠れていたからだ。
ドローンを飛ばさざるを得なかった。上空から見ると、発電機、取水口、そして公共施設の残骸を見ることができた。海岸には木造の兵舎や倉庫の残骸があった。
有刺鉄線、牢獄の鉄格子、監視塔の痕跡は発見されなかった。気候が全てを破壊したのか、それともこのコロニーが真に特異な存在だったのか。柵もなく、島から氷海へ脱出することは不可能だった。監視塔は国境警備隊のものだった可能性もあるが、小さな火山島になぜ設置されていたのかは説明が難しい。

灯台守が去った灯台と答えのない物語
アトラソフ島にあった古い灯台は現在、自動で稼働している。灯台守たちは長くそこに留まらなかったと言われている。過酷な環境と完全な孤立が彼らの精神を蝕んでいたからだ。今日、この島は無人島のままであり、依然として、知られている事実よりも謎の方が多い。女性専用区域は一体どのように組織されていたのか?なぜこれほど情報が乏しいのか?そして、この場所は人々が考えているものとは全く異なる場所なのだろうか?
答えはサハリンとカムチャツカの記録文書の中に眠っているかもしれない。研究者たちは調査を続ける予定だ。結局のところ、アトラソフ島も、千島列島全体と同様に、足を踏み入れる勇気のある人々を驚かせるかもしれないのだ。(boda.su 2025/11/23)
注) ロシア地理学会のデニス・ザベリン氏が2023年7月28日付のブログに「千島列島のオホーツク海に浮かぶ無人島で、廃墟となった女性たちの『ゾーン』が発見されました」というタイトルで紹介しており、boda.suの記事はザベリン氏の記事とほとんど同じである。
ザベリン氏は収容所について、こう書いている。
1940年代後半には、グラーグ制度の一環として、島の一つに流刑地が出現しました。ただし、この流刑地は男性だけでなく女性も収容する場所でした。しかも、流刑地であるだけでなく、労働収容所でもありました。島の生活環境は劣悪でした。片側は「ロシアの冷蔵庫」として知られるオホーツク海の冷たい海に、もう片側は冷たい太平洋に面しています。
船員によると、島の囚人たちは魚の加工工場と地元の毛皮農場で働いていたそうです。この集落は長く続かず、1950年代後半には解体されたようです。島の囚人たちは国境警備隊に交代し、灯台が建設されました。
写真は「На необитаемом острове в Охотском море на Курилах нашли заброшенную женскую “зону” – жутковатое местечко」から




