1945年、ソ連は日ソ中立条約を無視して北方四島に侵攻・占領。ロシアとなった現在でも不法占拠が続いている。元島民は高齢化が進み、約7割が亡くなっている。記憶を後世に伝えるため、当事者たちを訪ねた。(朝日新聞デジタル2024/2/7)
夜中に突然、たたき起こされた。
「いまから根室へ逃げるぞ!」
歯舞群島の勇留(ゆり)島で暮らしていた角鹿泰司(つのかやすじ)さんは、当時まだ8歳だった。
終戦翌年の1946年4月18日の深夜。母親と姉、妹とともに小型の漁船に乗り込んだ。
本来なら、魚を入れる船の「魚槽」。その狭い空間に、島からの脱出を試みる十数人が身を隠し、ひしめきあっていた。
上からふたを閉じられ、内部は真っ暗になる。小さな子が耐えきれずに泣き始めると、「声を出すな!」と一緒にいた大人が叱った。
「もしソ連兵に見つかれば、連行される。恐ろしかった。これから、どうなってしまうのかと」
船が根室市の納沙布(のさっぷ)岬近くにさしかかると、やっと魚槽のふたが開かれた。朝になり、空は明るくなっていた。
「ああ、これで助かったな、と思いましたね」
10年くらいしたら、また島で暮らせるようになるだろう――。当初は、そんな思いを抱いていた。
しかし、8歳だった少年が86歳になった今も、生まれ故郷の島ではロシアの実効支配が続く。
豊かな島だった。
春になると、ひざをまくって…
歯舞群島の勇留島で暮らしていた当時の角鹿泰司さん(左)と姉の幸子さん。荷車は、コンブなどの海産物を運ぶため、馬に引かせていたもの=1940年ごろ、本人提供
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