2月7日は北方領土の日に合わせたシリーズ企画。その1回目です。河田弘登志さん・89歳は半世紀余り前に北方領土の返還を求めるキャラバン隊を立ち上げました。キャラバン隊発足時のメンバーで存命している最後の元島民です。今、かつてない危機感を抱いているといいます。(NHK北海道NEWS WEB2024/2/5)
北方領土シリーズ1 領土返還キャラバン隊が抱く危機感|NHK 北海道のニュース
“北方領土を返せ”“北方墓参の早期実現を”。終戦から79年、北方領土の元島民たちの切なる叫びである。元島民の平均年齢は87歳を超える(2023年6月時点)。終わりの見えない返還運動に、強い焦りを感じる人も多い。そのうちの1人、半世紀余り前に北方領土の返還を求めるキャラバン隊を立ち上げた河田弘登志さん。キャラバン隊発足時のメンバーで存命としては最後の元島民だ。今、かつてない危機感を感じているという河田さんを取材した。
戻れない先祖の地
島での幼いころの思い出を語る時、河田弘登志さん(89)は遠く窓の外を眺めながら、1つ1つの記憶をたぐり寄せる。
河田さんは、北方領土・多楽島出身。7人きょうだいの長男として、代々コンブ漁を営む一家に生まれ育った。
「子供でも、コンブ漁になると仕事はたくさんあります。夕方になって、揚げたコンブが乾燥すると、倉庫に入れなきゃならない。ですから、学校が終わったら道草なんかしてられなかった。急いで帰ってこないと、うちで母親が待っていましたから」
1945年、戦争が終わり旧ソビエト軍が島に。当時河田さんは国民学校の5年生(10歳)だった。島では、旧ソビエト兵との交流があったという。
「ソ連軍が入ってきてから、かなりの人が自力で脱出しました。うちはエンジン付きの船がありましたが、ソ連軍に徴用され、戻ってこられなくなったんです。遊び相手がいなくなったので、アレクセイというロシアのナンバー2くらいの兵隊と遊んでいたんです」
1か月ほどして、先に島を出ていたおじの船で、根室に引き揚げることになった。すぐに島に戻れると考えていたという。
「島を出る時は、別になんとも考えていなかった。2学期が終わったら、3学期になるまでには島に戻れるなと思っていた。ただ、そんなことはできず、それっきりになってしまった」
返還運動の熱気
ふるさとを失った河田さん。根室市役所の職員として働くかたわら、57年前、北方領土の返還を求めるキャラバン隊を他の元島民とともに立ち上げた。最初の頃の熱気を、河田さんはこう振り返る。
「最初のあの頃は若かったし、元気はよかったね。着るものも何もないから、『せめて帽子だけでもそろえるか』って言って、整備工場に行って、工員がかぶっている帽子をもらってきた。それに北方領土返還のメッセージを書いてかぶったの、最初は」
キャラバン隊は、やがて道内から全国に活動の幅を広げた。活動に共感が広がり、日本各地に北方領土の関係団体ができた。根室には、毎日のように全国からの視察団が訪れるようになった。当時の盛り上がりに、河田さんは手応えを感じていた。
河田さんは、キャラバン隊を立ち上げた当時の写真を取り出し、一人ひとりを指さしながらつぶやく。
「みんないないわ。この人もいない。私1人残されて…」
“ガラッと空いてる…”感じた焦り
去年12月、河田さんの姿は東京にあった。1945年12月1日に当時の安藤石典・根室町長 がGHQに北方領土返還を求める陳情を行ったのがきっかけで、毎年この日に全国規模で返還要求運動が行われている。その中心となる東京での街頭行進に、河田さんは毎回参加している。
しかし、去年12月に会場で見た光景は河田さんにとってショックなものだった。
「ガラッと空いていた。あっちからもこっちからも声がかかるだろうと思って行ったら、そうではなかった。その前の年はけっこういたんですよね。『これじゃあやっぱりダメだな』と思ったね、あの時は。これじゃあせっかくやっても…」
河田さんが肌で感じた北方領土問題への関心の低下は、世論調査の結果からも明らかになっている。内閣府が先月(1月)発表した世論調査。ロシアが不法占拠している現状を「知らない」と答えた人は18歳から39歳の若年層で、半数近くに上った。
2008年の調査と比べても、30代でおよそ27ポイントも増加している。内閣府は「政府の啓発活動が行き届いていないことが背景にある」と分析している。
進展のなさにやるせない思い
北方領土の返還交渉は今、進展の兆しを見せない。これまで、元島民が望みをかけてきたのが、「ビザなし交流」や先祖の墓を訪れる「北方墓参」などの事業だ。河田さんも、この枠組みを使って、多楽島の先祖の墓を訪れてきた。
ところが、おととし3月、ウクライナ侵攻に伴う日本の制裁を理由として、ロシアは北方領土問題を含む平和条約交渉を中断する意向を表明。交流事業も停止された。それ以降、再開の見通しは立っていない。
「墓参すらできない状況だからね。先祖代々のことを考えると、やっぱり1番は、墓参くらいはなんとか、道筋をつけてほしいと思っています。墓はそのままにしてあります。埋めたところが、きちんとそのままの状態か、わからないですから。それも見に行きたいな。いろいろな情勢もあると思うが、国自体がおとなしくなってしまった。もう少し声をあげてもいいんじゃないか」
“いつまでも動けるわけじゃない”河田さんの叫び
ことしで90歳になる河田さん。返還運動に携わるための体力をなんとか維持しようと、毎朝の体操を欠かさない。
「ずっとやってきたことだからね、中途半端なことはしたくないと思うから、できる限りにね、やれることはやりたいなと思ってる」
元島民の努力だけでは、返還運動を維持できない。河田さんは、今後の運動には若い世代の協力が必要だと話す。
「一生懸命やってくれてる若い人たちは歓迎です。そういう人がだんだん増えてこないかなと思っている。やっぱり、引き継いでいかないとどっかで切れちゃうから。いつまでも我々、動けるわけじゃないからね。元島民だけの話ではない、日本国民全体の問題ですよ。1人1人の問題です」
取材後記
河田さんは、これまで参加したキャラバンや北方墓参、ビザなし交流の時の写真を、初めて訪れた私に快く見せてくれた。その写真を取り出す手が時々震え、「みんないなくなってしまった…」と話す河田さんの声を、忘れることができない。残された時間は少ない。「1人1人の問題だ」という河田さんの訴えは、私たち若い世代に向けられている。少しでも現状を知る人が増え、問題が進展することを願う。
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