ウクライナに侵攻したロシアのプーチン政権は、国際社会の批判を浴びながらもウクライナ東南部の併合を宣言したが、そうした「ロシア(ソ連)による一方的な侵略」が第二次世界大戦末期に行なわれたのが北方領土だ。ウクライナ戦争が長期化の様相を見せるなか、日露国境でも緊張が続いている。30年以上にわたって「日本の国境」をテーマに取材・撮影を行なっている報道写真家・山本皓一氏がレポートする。(NEWSポストセブン2022/10/31)
日本人の食文化を支える食材に「コンブ」がある。天然コンブの約96%は北海道産(2019年)であり、なかでも根室市の歯舞漁港は道内有数の漁獲量(採取量)を誇る。コンブの漁期は毎年7月~9月だが、例外がある。「棹前(さおまえ)コンブ」と呼ばれる早採りのコンブだ。解禁のことを「棹入れ」といい、それより前に採取することが名前の由来。柔らかい食感を楽しめる「食べるコンブ」の最高級品で、例年、6月上旬が漁の解禁日となってきた。
根室の棹前コンブ漁は、ロシアが実効支配する歯舞群島の貝殻島付近が漁場となるため、毎年、事前の操業条件交渉により日本側が入漁料をロシアに払う形で漁が成立していた。
ところが今年はウクライナ戦争の勃発を受け、日本がロシアへの経済制裁に同調したことでロシア側は態度を硬化させた。オンラインによる交渉は何とか妥結したものの、例年より約3週間遅れての操業スタートとなった。
6月28日の午前5時30分。本土最東端の納沙布岬沖に、赤い塗装が目印のコンブ漁船が続々と集まってきた。漁船団の向こうにはロシアが実効支配する貝殻島の灯台が肉眼でもはっきりと確認できる。戦前の1937年に当時の日本政府が建設した灯台は、納沙布岬からわずか3.7キロの距離にある。
午前6時、操業開始を知らせるサイレンが鳴り響く。根室の3漁協から集まった220隻のコンブ漁船が、灯台付近を目指して白波を立てて一斉に発進した。より良質なコンブを採るには、いかに早く目的地に到達するかが勝負の分かれ目だという。この限られた期間のうちに高値で売れるコンブを採れるかどうかは、漁師たちにとって死活問題でもある。
水深の浅い海に着生しているコンブを専用の鈎つき棒に巻き付け、船の上に引き揚げる。そうした作業を、至近距離から見張っているのがロシア国境警備局の船だ。納沙布岬にほど近い日本側からは、海上保安庁の巡視船も漁の様子を見守っている。操業違反などのトラブルが発生した場合に、すぐに現場に急行するためだ。
実は、この漁の模様を取材・撮影するために、筆者はコンブ漁船への同乗を関係者に打診していた。ところがベテラン漁師は「とんでもない」といった調子で首を横に振った。
「今年ばっかりはわやだな(どうしようもない)。漁師はみな、顔写真まで向こう(ロシア側)に出してるべ。他人が船に乗っていることがバレたら、どうなるかわかったもんじゃない」
カメラを預けて代わりに撮影してくれないかとも頼んだが、「写真を撮るのも危険すぎるさ」とにべもない。その意味はすぐに分かった。納沙布岬から望遠鏡で漁業の様子を観察すると、漁船より二回りは大きいロシア国境警備局の警備船が頻繁にコンブ漁船に接近している様子が確認できた。
操業そのものは許可したロシア側だったが、今年は徹底的な漁船への「臨検」を実施していた。検査を受けた漁船は9月末の操業終了までに366隻。前年の87隻に比べ、4倍以上に増加。なかでも納沙布岬から撮影を試みたこの日は、最多となる37隻が臨検を受けていた。
「1回あたり15分くらいかな。俺らの携帯を調べられてよ。変な写真を撮ってないか、あと操業に必要な免許(指示書)の確認もあったさ。コンブ以外を採るなということで、くっついている貝まで捨てるように命じられた船もあった」(前出のベテラン漁師)
地元の歯舞漁協は昨年から、コンブ漁漁船に漁船保険の「戦乱等特約」第1種(いわゆる拿捕保険)の加入を義務付けている。2019年以降、ロシア側の臨検増加が顕著になってきたことを受けての対策だったが、「いつ拿捕されてもおかしくない」という緊張感は、ますます高まっている。
理屈だけで言うなら“日本固有の領土である北方領土で日本人漁師が操業して何が悪い”──となるが、75年以上もロシアの実効支配が続く現実の前では、その正論は残念ながらプーチンに対してはまったくの無力だ。貝殻島のコンブ漁が確立されたのは1963年の「日露貝殻島昆布採取協定」締結以降のことである。国家間の軋轢に翻弄されながらも、半世紀以上にわたり漁業従事者たちが守り続けてきた根室の棹前コンブ漁はいま、試練の時を迎えている。(文・写真/山本皓一 取材協力/欠端大林)
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