「ウクライナの状況はまさに日本の北方四島みたいなもの」「ウクライナ戦争で打ち砕かれた北方領土出身者たちの望み」を米紙が紹介

 ウクライナに侵攻したロシアに日本が制裁を科せば「北方領土問題」が後退するという展開は、大半の日本人にとって驚きではないだろう。だが、北方四島の元住民らにとってそれは何を意味するのか?米紙「ワシントン・ポスト」東京支局長のミシェル・イェ・ヒ・リーらが北海道の根室市で取材した。(クーリエ・ジャポン2022/4/1)

 1945年9月4日、ソ連兵たちが河田弘登志(かわた・ひろとし)の家に入り込み、日本兵をかくまっていないか、貴重品を隠していないか探しにきた。当時11歳だった河田は、彼らのしゃべっている言葉で2つの単語だけ聞き取れたのを覚えている。時計と酒だ。それらを彼らは略奪していった。

 日本の北にある資源豊かな列島を、ソビエト連邦が乗っ取りはじめたのだ。日本が第二次世界大戦で降伏して、悲惨な戦争もこれで終わったと思っていた島民たちにしてみれば恐ろしいことだった。ほどなく日本人たちは自由に働いたり引っ越したりすることを禁じられ、女性や子供は拘束されて強制労働させられた。

 多くの家族が、夜中に舟で逃げた。岸から遠く離れるまではまず櫂で漕いで、それからエンジンをかけた。その頃に住む場所を追われた大勢のなかに、河田一家もいた。いま87歳の河田は言う。

 「これだけの年月が経っても、目の前で見た何もかも、いまだに忘れられません。いまのウクライナの人たちのことを見て……すごく身につまされます。遠くで起こっていることのようには思えないんです」

踏みにじられた北方領土の元住民たちの願い

 日本の東端にある北海道根室市には、北方領土の元住民およそ1万7200人のうちの多くが再定住した。そんな土地柄だけに、ウクライナから何千キロも離れていようとも、ロシアの侵攻と何百万ものウクライナ難民の窮状に寄せる思いは深い。

 今回の戦争で、生まれ故郷を再び見たいという彼らの願いは踏みにじられてしまった。ウクライナに侵攻したロシアに日本が制裁を科したことに対して、ロシアが北方四島をめぐる交渉を反故にしたからだ……。Text by Michelle Ye Hee Lee & Julia Mio Inuma

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得能宏さんが色丹島に住んでいた頃に撮った兄弟との写真

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北方領土に住んでいた頃の写真を見る元住民たち。左から角鹿泰司(84)、河田弘登志(87)、得能宏(88)

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根室市の至る所には、北方領土返還を訴える看板がある

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