「シコタンの休日は一年中いつでも魅力的だ」–オクサナ・トマソンさん

 戦後75周年にちなんで、1950–1990年代に国後島色丹島に来て、南クリルの発展に計り知れない貢献をして、島に人生を捧げたヒーローたちを紹介しているこの企画。今回は色丹島に住んでいるオクサナ・トマソンさんを取り上げる。(kurilnews.ru/2021/2/16)

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 彼女の名前は島の内外でよく知られている。オクサナの父親ユーリ・イオシフォビッチは1960年代中頃からクリル諸島で働いたベテラン労働者。色丹島マロクリリスコエ(斜古丹)で数多くのオブジェクトを建てた。彼女の夫イーゴリはシュパンベルク灯台(色丹灯台)の技術者をしている。色丹島のことを誰よりも知っている地元の歴史家で、長い間、島の観光開発に成功してきた。

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 オクサナの妹は色丹島で生まれた。彼女の母親も色丹島に住んでいた。オクサナ自身は勉強のため来ていたウラジオストクで夫と出会った。その後、夫になるイーゴリを世界の果てのマロクリリスコエまで追いかけてきた。

 「母と妹から話を聞いていたのでシコタンのことをよく知っていた。そこには豊かな暮らしがあり、水産加工場が稼働しており、たくさんの学生が働きにきていたと聞かされました」と、振り返る。彼女はシコタンの手つかずの美しい自然に満足している。シコタンでの休日は一年中いつでも魅力的だ。国後島と違ってここにはクマがおらず安全なことも含めて–。

 移住した当時、島はまだ整備されていなかった。2000年代初めにはお菓子や果物など店にはあまり商品がなかった。今は、すべてが変わった。南クリル諸島への物資の供給は適切なレベルで維持されている。冬でも夏でもマンゴーとスイカがあるくらいだ。「いまシコタンでは積極的に住宅が建てられ、アスファルト舗装も始まっている。生活のクオリティは向上している」とオクサナは言う。

 彼女はシコタンに来て、会計士として食料品店に就職し、15年間働いた。1年前には、クラボザボツコエ(穴澗)村の役場で働き始めた。住民が希望と願いを持っていく先はオクサナがいる事務所だ。

 「誰かがアドバイスを必要とし、誰かが書類に記入するために助けを必要としている。仕事はとても面白い。毎日、同じ日がない」とオクサナは言う。

 シコタン地震を乗り越えた住民がいて、ダイナミックな若者たちも一緒に暮らしている。彼らはより高い教育を受けるため島を出ていく。残念ながらすべての若者が戻ってくるわけではない。島内での就職先が限られているためだ。

 オクサナはイーゴリ・ユリエビッチと結婚し、2人の子供に恵まれた。どちらもシコタン生まれただ。長男ジョセフは8歳。娘イラナは5歳である。驚いたことに2人とも誕生日は同じ2月25日だ。

 「彼らは本当にシコタンが大好きなの。週末、天気が良ければ私たちは外に出る。息子には早くからバイクの運転を教えている。もちろん自転車は、ここではなくてはならないモノだ。ディミトリフ湾(イネモシリ)やクライ・スベタ岬(エイタンノット崎)にも自転車で出かけていく。子供たちが活発に、活動的に暮らしていることをうれしく思う」とオクサナは言う。

 オクサナの夫イーゴリも、とても活動的な人だ。イーゴリは心からシコタンを愛している。

 「私は島を出たいと思った瞬間がある。専門的な道に進みたいと思って。その時、イーゴリは私をサポートしなかった。ここに残るためにキャリアを犠牲にしなければならないといった。いま、私たちはここにたどり着いたことを後悔していない」と回想した。

 南クリル諸島関係の本が出ると、イーゴリは必ず購入する。彼はシコタンの歴史、文化に興味を持っている。灯台で働くだけでなく、彼は島の旅行代理店の代表でもある。ゲストを迎え、彼らのためにツアーを手配し、絵にかいたような美しい場所に連れていく。

 今日、シコタンはダイナミックに発展している島である。病院や住宅に加えて社会的、文化的施設が次々と建てられている。マロクリリスコエの文化の家、クラボザボツコエの公衆浴場、大きな幼稚園や学校も建設される予定だ。

 

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