プロジェクト・フラ【Project Hula】とは
米国がソ連の対日参戦に備えてソ連海軍の増強を図るため、ヤルタ会談直後の1945年4月から9月にかけて、アラスカ州コールドベイ基地で行った米ソによる極秘協力プロジェクト。
米国はソ連が日本との戦争に必要としていた艦船149隻を提供するとともに、ソ連兵1万2,400人に対して艦船の操船技術やレーダーやソナーなど最新機器の取り扱いに関する習熟訓練を行った。
米国から移管された艦船は、朝鮮半島北部(羅津要塞)や南樺太、北千島・占守島をはじめとする千島列島、さらには北方領土への侵攻、占領作戦に投入された。
米国の対ソ連軍事支援プロジェクトいろいろ
レンド・リース(Lend-Lease)
1941年3月、ルーズベルト大統領が提案したレンド・リース法(武器貸与法)が成立。米国はナチスドイツと戦う連合国に武器や軍需物資を供給した。ソ連への供給は1941年後半に始まり、航空機2.2万機、戦車1万台、トラック37.5万台、銃器2万丁をはじめ食品、毛布、ボタンまで供給した。スターリンは「米国の物資がなければ戦争には勝てないだろう」(1943年、テヘラン会談)と語った。
プロジェクト・ゼブラ( Project Zebra)
レンド・リースの一環として、1944年から1945年にかけて、アメリカのエリザベスシティ沿岸警備隊基地(ノースカロライナ州)で、ソ連兵約300人に対してカタリナ型飛行艇の操縦訓練を行い、飛行艇185機を貸与した。
マイルポスト(Milepost)
満州における日本との戦争を想定した物資の備蓄作戦。1944年10月17日、ソ連はシベリア東部に2ヶ月分の備蓄を図るため105万トンの武器や物資を米国に要求。このリストを基に1945年4月から9月にかけて食糧・被服から武器・弾薬、重機、機関車まで80万トンの物資が中立国であるソ連国旗を掲げた商船によって、米国西海岸からナホトカとウラジオストクへ運ばれた。
プロジェクト・フラ(Project Hula)
樺太や千島列島など島嶼部への上陸作戦を想定してソ連の太平洋艦隊を増強するための作戦。1944年12月5日、ソ連のアラフソフ参謀長がモスクワに駐在していた米海軍オルセン中将に、太平洋艦隊増強に必要な艦船と物資のリストを提出したのがプロジェクトのはじまり。
プロジェクト・フラの経過
1944年12月5日
ソ連が艦艇と装備のリストを提出
1945年2月4日~11日(ヤルタ会談)
訓練基地をコールドベイに決定
1945年3月19日
コールドベイ基地司令官着任
1945年3月23日
ソ連側代表がコールドベイに到着
1945年4月16日
最初の訓練開始(ソ連軍士官220人、兵1895人)
1945年5月28日
最初の掃海艇(AM)8隻をソ連に移管(ペトロパブロフスクへ)
1945年9月2日(VJ-DAY=対日戦勝の日)
哨戒フリゲート艦(PF)など6隻移管
1945年9 月 4 日
最後の移管 哨戒フリゲート艦(PF)4隻
1945年9月5日
プロジェクト・フラ作戦即時停止指令
1945年10月1日
コールドベイ基地廃止
プロジェクト・フラ 当初計画180隻のうち149隻をソ連に移管
艦 種 当初計画 引渡実績
AM (掃海艇) 24 隻 ⇒ 24隻
YMS (木造の掃海艇) 36 隻 ⇒ 31隻
SC (木造の駆潜艇) 56 隻 ⇒ 32隻
PF (哨戒フリゲート) 30隻 ⇒ 28隻
LCI(L) (大型歩兵揚陸艇) 30 隻 ⇒ 30隻
YR(工作船) 4隻 ⇒ 4隻
ソ連兵はレーダーやソナーを知らなかった
掃海艇などの小型艦の訓練は、陸上訓練12日、船上訓練12日(哨戒など大型艦は30日)とされ、操船技術や装備の使い方を学んだ。ソ連兵は最新のレーダーやソナーについてほとんど知らなかったため、集中的な訓練が行われた。
最大の問題は通訳の不足だった。ソ連側通訳40人のうち資格を持っていたのは6人だけだった。このため陸上訓練では機器の操作、兵器の扱い方などを教える字幕付きの訓練フィルムが多用された。
ソ連兵は平均 2,500 人が滞在、8 月には最大 6,500 人を収容した。米側スタッフは常時1000~1500人で海軍と沿岸警備隊員が対応した。 基地内には劇場4、レクリエーション施設5 (うちビアホール2)、ソフトボール場5、ラジオ局、図書館、屋内ゲーム場などが整備された。釣りと狩猟、湾でのボートツアーなども行われた。