根室支庁の公文書「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」によると、ソ連軍が国後島に上陸したのは1945年9月1日午前5時のことだった。国後島泊村の村上茂村長は「今朝五時 連合軍の一部約三百名は古釜布に上陸」と、根室支庁長宛てに電報を発した。
9月2日には泊村にあった根室支庁国後出張所の荒井辰男所長から「昨日(1日) ソ連軍艦5隻 古釜布に入港せり」と報告があり、軍艦は5隻だったことが分かる。
国後島上陸部隊は8月31日に樺太の大泊を出港した。編成は上陸用舟艇DS-31(兵員216名)とDS-34(兵員186名)と護衛艦EK-4の3隻だった。これに択捉島上陸作戦に参加していた掃海艇T-590(兵員100名)が合流した。ソ連側の記録によると国後島上陸用のはしけとして日本の漁船を曳航したとあり、それを含めると5隻となり、荒井所長の報告と符合する。
ソ連軍は国後島の古釜布を北方四島の占領拠点とするため、樺太・大泊から兵員や車両、食糧、弾薬、馬を乗せた輸送船5隻と護衛艦EK-6、掃海艇T-273、T-274からなる部隊を編成し、9月3日未明に古釜布に到着した。さらに9月4日には輸送船1隻と掃海艇T-591が入港している。
輸送船ネバストロイ 輸送船クラボロフⅡ 輸送船ドニプロストロイ
輸送船ノヴォシビルスク 輸送船フセフォルド・シビルツェフ 輸送船ナホトカ
9月1日から9月4日までの間に、3つの部隊からなる14隻(はしけとして択捉島から曳航した日本漁船を除く)の艦船が古釜布に上陸した。このうち輸送船6隻を除いて、上陸用舟艇DS-31、DS-34、護衛艦EK-4、EK-6、掃海艇T-590、T-591、T-273、T-274の8隻は「プロジェクト・フラ」という米ソ合同の極秘作戦でアメリカ海軍からソ連軍に貸与された艦船だった。
護衛艦EK-4は、数奇な運命をたどった艦船だった。EK-4はアメリカ海軍のPF-53Machiasだったがソ連軍に移管され、国後島上陸作戦に参加した後、1949年10月にアメリカに返還された。その後は横須賀に配備されたが、1953年1月、日米船舶貸借協定に基づき日本に移管され、保安庁警備隊(後の海上自衛隊)所属の駆逐艦「なら」(PF-2)となった。1957年9月、にPF282に変更となり、1969年3月退役した。ソ連軍による国後島占領にかかわった艦船が後に日本の海を守る任務についたのだった。
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