知られざる「根室受信所」の栄光 ツェッペリン飛行船、リンドバーグ機と交信、誘導した「落石無線局」の本局

知られざる歴史・秘話
「根室送信所前でリンドバーグ夫妻を囲んで記念撮影」釧路新聞1931年(昭和6) 8月27日付

「世界的な特ダネをものにしたかったら、落石無線に行け」-。昭和初期、新聞記者の世界ではこう言われたほど、落石無線電信局の歴史は輝かしい。

1915(大正4)に、カムチャッカ半島ペトロパブロフスクの無線局と日本初の国際無線通信を開始したのを皮切りに、1929年(昭和4)世界一周中のドイツの飛行船ツェッペリン伯号や1931年(昭和6)北太平洋横断飛行中のリンドバーグ夫妻が乗ったシリウス号との交信、そして1945(昭和20)年8月28日「ソ連軍、択捉島・留別に上陸」の第一報を受信したのも落石無線電信局だったといわれている。

落石無線電信局といえば多くの人が思い浮かべるのは落石岬に残る鉄筋コンクリート造の四角い建物だろう。かつて送信所だった建物は現在、根室出身の彫刻家のアトリエになっており、毎年夏に「落石計画」というワークショップが開催されている。

落石無線電信局は本局にあたる根室受信所と落石岬の送信所に分かれており、二つの施設をあわせて落石無線電信局と称していた。

1908年(明治41)12月に落石無線電信局が落石岬に開設された当時は送信も受信も行っていたが、送信する時、電波を遠くへ飛ばすために大きな電力が必要で、同じ場所で受信業務を行うと送信電波が干渉し、ひどい時には受信機が壊れることもある。このため受信中は送信しない、送信中は受信しないというのが一般的だった。

これでは効率が悪く、増え続ける電信業務に対応できないとなって、1923年(大正12)に送信と受信を分離する二重通信方式が採用された。その際、受信所は落石岬から20km離れた根室町桂木51(現在の根室市光洋町、浄水所裏)に新設し、落石岬の施設は送信所として2km内陸に移設した。

ついでにいうと、この時、移設された送信所は木造だったが、1925年(大正14)に火災で焼失し、1927年(昭和2)に再建されたのが現在も残る鉄筋コンクリート造の建物である。

1923年(大正12)、当時の根室町桂木51に新設された根室受信所の全景(現根室市光洋町3丁目)

1931年8月18日の北海タイムスは、「これほど世界環視の落石無線局。その名前から落石村にあるとばかり思われているが、目下一刻一刻全国リンディファンの血を躍らせている同機飛来の状況を受けている所は根室の高台にある本局なのである」と書いている。

通常、受信施設の方が本局とされ、局長室も受信所にあった。つまり、ツェッペリン伯号やリンドバーグ機との交信、そしてソ連軍の北方領土侵攻の第一報を受信したのは、落石送信所ではなく、根室町桂木にあった根室受信所であった。

作成:竹村修氏(札幌市)昭和31年から38年までオペレーターとして根室受信所(当時の落石無線電報局)に勤務

北太平洋横断飛行を目指して、1931年7月29日ワシントンを出発したリンディ機がアラスカ・ノームに着水したのは8月12日だった。天候の回復を待ちながら気象情報を収集していた8月14日午前7時5分。落石無線電信局根室受信所の小間清治郎技手のRA38号受信機がリンディ機とアラスカのセントポール無線局の交信を初めて捕らえた。

小間技手は2年前の8月17日、世界注視の中、ヨーロッパから日本を目指していた巨大飛行船ツェッペリン伯爵号の電波をどこよりも早く捕らえ、終始逃さなかった。この時、落石岬の送信所側は松平初太郎技手が担当。松平技手は購読していたドイツ語の雑誌で、ツェッペリン伯爵号のコールサインを知り、割当周波数を調べあげた。この情報をもとに受信所では5台の受信機でワッチを続け、小間技手が見事キャッチした。

リンディ機の対応でも落石の至宝と言われた受信所の小間、送信所の松平という最強コンビで臨み、片平金造局長の陣頭指揮の下、真っ先に電波を捕らえ、根室港着水までリンディ機の飛行を支援したのだった。

リンドバーグ夫妻は、千島列島中部の計吐夷島沖、択捉島、国後島と3度の不時着水を余儀なくされているが、その度に落石無線電信局との交信で窮地を救われている。根室到着の翌日、感謝の意を伝えるために受信所を表敬。3時間にわたり滞在し、職員一人ひとりに感謝をこめてサインを贈り、受信所玄関前で記念写真にも納まった。

根室受信所前で撮られたリンドバーグ夫妻を囲んでの記念写真。左上にアン夫人(上)とリンドバーグ大佐のサインがあり、日付は1931年8月25日と書かれている

現在、根室受信所があった場所には往時の面影は何もない。根室交通の公住循環線バス停に「無線前」と名残をとどめるのみである。

【落石無線電信局とリンドバーグ関連新聞資料】

◉北海タイムス(昭和6年8月18日、火曜日)より
取材合戦加熱 根室のタクシー全部借り上げ

【根室電話】(中川特派員)
リンディ機の飛来を目前にひかえて落石無電局を中心に各新聞社通信社の通信戦は物凄いものがあり、本社サルムソン機を初め各社の飛行機機首を並べて飛行の準備をささ怠りなく。根室町には今タクシーが9台あるが、各新聞通信社は数日前から早くも是等の全部を多額の権利金を出して独占し、万一に備えるほか、特派員は終日無電局につめかけて報道の一刻の勝利を争っている。その渦巻の中心となっている無電局はリンディ機が、去る11日ノームに到着して同無電圏内に入って以来一段の馬力を加えて文字通り不眠不休の奮闘ぶりである。落石無電局は先年、ツェ伯号(ツェッペリン伯爵の飛行船)の飛来以来、俄然世界的に有名になったが、今度のリンディ機の飛来に当たっては同機の航路の安全を期して今度一時間おきに気象を送っているが、太平洋横断飛行の最難関ベーリングの魔の海の見事な征服も全く同無電局の賜物といってよい位で、更に今後ペトロから根室までのコースに至っては殆ど、30分後の天候も予測がつかぬガスで有名な地域とて、如何に空の王者とはいえ、いよいよ落石無電局の最後の奮闘を期待しないでは一寸先も飛べぬという訳である。

落石無電局というが本局の所在地は根室 送受信を分離する二重送信の最先端施設
ところでこれ程世界環視の落石無電局の所在に就いては落石という名称のために誤られ同無電局は落石村にあるものとばかり思われて居るが、実際無線電信の本局の在るところは根室町大字根室村番外地の根室町から約30丁程離れた郊外の高台で、そこに片平局長ほか十数名の職員の官舎も棟続きに付属して職務柄一刻の油断もなく活動を続けて居るので、落石の方は同局のいわば出張所のようなもので送信に当たっており、目下一刻一刻全国リンディ・ファンの血を躍らして居る同機飛来の状況を受けて居るところは前記根室郊外に在る本局なのである。根室と落石間は陸路6里(約24キロ)位離れて居るが、この送受信の両所が之だけ離れて居る事は二重通信の方法を可能にして居る点で海岸無電局としては千葉県の兆子と共に最も完成した無電局で落石無電局が航空界に貢献して居るのもこの完備した設備の故である。

新聞通信各社の猛烈な通信戦 根室-東京間に直通電話敷設
【落石17日発電】リンディ機の消息を一刻も早く把握せんとして東京各社の新聞通信特派員は躍起となって落石無電局を中心に猛烈な通信戦を演じて居るが、落石局でも出来得る限りニュースを全国的に速報すべく17日午後3時半、札幌経由を止めて根室東京間直通(陸線)の試験を行ったが、成績上々で東京中央局では札幌より明確であると語った。なおこれによって通信時間は従来平均5、60分を要したのを10分内外まで短縮出来る事が判り、18日から開始する事に決定した。

リンディ機到着を全国に実況放送 米NBCは歓迎会中継放送の許可申請
【東京電話】空の人気者リンドバーグ夫妻は好天に恵まれれば19日霞ヶ浦に到着予定であるが、JOAK(※NHKのラジオ放送)では早くも霞ヶ浦に技師を特派、リンドバーグ夫妻の到着状況を全国に放送するため万端の用意を進め、晴れの飛来をまちつつあるが、更に夫妻の到着3日目即ち21日夜、帝国ホテルに開かれる陸軍海軍逓信の3大臣主催の歓迎会の実況をも放送する事に決定した。この日特に米国のN・B・C放送会社より懇請によって右の歓迎会で午後8時30分より同9時10分までの間に行われる安保海相、南陸相、小泉逓相3大臣の歓迎の辞(英訳)及びリンドバーグ大佐の挨拶を全米に向け中継放送するほか、米国国歌独唱等を放送する事となり、17日逓信局に許可を申請した。

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