ビザなし渡航

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元島民、上空から慰霊 ビザなし中止で初事業

【中標津】北方領土付近をチャーター機で飛び、元島民らが上空から先祖らを慰霊する初の事業が21日、中標津空港(根室管内中標津町)発着で2回行われた。計54人が参加。新型コロナウイルスの影響で北方領土ビザなし渡航が全て中止になる中、元島民らは眼...
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10月21日と25日 北方四島「上空慰霊」が実施されます

北方四島を上空から眺めながら慰霊をする、北海道と千島連盟主催の「上空慰霊」の案内が届きました。今年は新型コロナの影響で北方墓参、自由訪問、四島交流事業が全日程中止となってしまい、欲求不満がたまっていた身としては、ありがたい取り組みです。洋上...
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ビザなし渡航全て中止 コロナ影響 35年ぶり

北方領土の元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟、札幌)は31日、元島民が古里を訪ねる自由訪問について25日から予定していた最終回の実施を断念した。新型コロナウイルスが収束せず実施のめどが立たないためで、これで北方領土墓参、ビザな...
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1992年5月11日-17日 ビザなし渡航日本側第1陣 国後、色丹、択捉3島訪問

ビザなし交流(北方四島交流)で日本側第1陣が北方四島を初めて訪れたのは1992年(平成4年)5月11日でした。団員は元島民12人をはじめ、行政関係者10人、報道関係者15人など45人で、6泊7日の日程で国後島、色丹島、択捉島の3島を訪問して...
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『私たちは旧島民に温かい気持ちを持っている。一緒に住んでいたとき、助けてもらったのだから』

1992年ビザなし渡航第1陣(四島在住ロシア人19人)の新聞記事から   1992年4月22日—27日まで、ビザなし交流(北方四島交流)の第1陣として初めて北海道を訪れた四島在住ロシア人19人。当時の新聞記事を読むと、新たな歴史の扉を開く出...
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1992年4月22日 ビザなし交流第1陣の四島ロシア人19人 根室・花咲港に上陸

ビザなし交流(北方四島交流)が始まったのは1992年(平成4年)のことでした。その第一陣となったのは北方四島在住のロシア人19人からなる訪問団でした。今年、29年目のシーズンを迎えるはずだったビザなし交流は、新型コロナウイルスの影響で5月か...
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『国後島・植古丹~母のふるさとを訪ねて』–自由訪問実績報告書より

北方四島の元島民やその家族がふるさとを訪れる「自由訪問」の令和元年度実績報告書が届きました。主催団体である千島歯舞諸島居住者連盟が毎年作成しています。私が参加した第三回自由訪問の頁を紹介します。
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ウルップ島北の無名島 ヴァシレフスキー元帥の名前を命名 サハリン州議会決定

❐北方四島の話題 サハリン・インフォ2020/3/10サハリン州議会は、クリル諸島中部、ウルップ島(得撫島)の北に位置するタイラ諸島の無名の島に、日本との戦争で極東ソ連軍最高司令官を務めたヴァシレフスキー元帥の名前を命名することを全会一致で...
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サハリン州政府 ビザなし交流の計画を話し合うロ日代表者間協議の開催経費100万ルーブル

❐北方四島の話題 サハリン・インフォ2020/1/27サハリン州政府は、今年5月から始まる北方四島交流などビザなし渡航の年間計画を話し合う代表者間協議の運営に関する入札情報を発表した。予定価格は99万3,000ルーブルで州予算から支出される...
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『国後島・植古丹~母のふるさとを訪ねて』

令和元年度自由訪問実績報告用に書いた原稿です。 『国後島・植古丹~母のふるさとを訪ねて』               2019年(令和元年)度の第3回自由訪問に妻と共に参加し、母のふるさと国後島の植沖地区をはじめラシコマンベツ、植内を訪ねま...