北方領土ノート

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8月20日 ソ連軍、樺太・真岡に上陸 占守島では戦闘続く

8月20日の朝、占守島の片岡基地(現バイコヴァ)に向かった地雷敷設艦オホーツク、警備艦キーロフおよび数隻の掃海艇は第2クリル海峡(占守島と幌筵島の間)に入ったところで、日本軍の攻撃を受けた。前日、停戦合意から一転、ソ連指揮官は堤師団長が停戦...
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1945年8月18日 ソ連軍、占守島に上陸 165・171高地を奪取

8月18日未明、カムチャツカ防衛区軍とペトロパブロフスク海軍基地からなるソ連軍は占守島北東海岸に上陸したが、計画通りにはいかなかった。ピョートル・シャトフ率いる先遣隊に続き、第1、第2梯団が国端崎と竹田岬の間の5kmの狭いビーチに上陸した。...
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クリル上陸作戦開始 アメリカから貸与された上陸用舟艇など54隻が占守島へ出撃

「50度線からのリポート」--1945年8月17日。この日はソビエト軍にとって重要な出来事があった。カムチャツカのアバチャ湾からクリル諸島上陸部隊が出撃し、サハリンでは第179ライフル連隊が50度線に近い古屯駅一帯(ポペジーノ)を占領した。...
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8月15日、天皇はポツダム宣言の受諾の意思を表明 ソ連軍指導部は千島列島への上陸作戦準備を命令

サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクト)から--。1945年8月15日、非常に重要な出来事があ...
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『戦争はとんでもなく憎たらしい』…元島民・河田さんの体験

北海道新聞8月13日付朝刊釧路・根室版に元島民の河田隆志さん(83歳=歯舞群島多楽島出身)の体験が紹介されています。ビザなし交流船「えとぴりか」の出港、帰港時には、いつも旗を持って送迎してくれています。
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戦後75年 「50度線からのリポート」サイト開設

サハリン・クリル通信は75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクトを開始した。日本帝国から島々を奪還するためにどのような戦いが展開されたのか、毎日ウエ...
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ソ連占領後の国後島、色丹島、歯舞群島の歴史…クナシリの地元紙「国境にて」の記事から

❐北方領土ノート   kurilnews.ru 2019/6/5南クリル都市管区の歴史から(S.キセリョフ)    南クリル地区は1946年6月5日の南サハリン地域の行政及び領土構造に関するソ連最高会議幹部会令に基づいて形成された。 200...
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国後島、一場の夢

本日の北海道新聞「朝の食卓」です。祖父と母が国後島を脱出した時の話を書きました。 私は祖父の顔を知りません。母は根室からの迎え船に家財を積み込んだ時には、祖父の肖像画が積まれていたのを記憶していますが、嵐にあって船が遭難し、家財とともに海の...
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日本の降伏文書署名後 1945年9月3日~5日に歯舞群島を占領したチチェリン少佐は「英雄」になった 

北方領土ノート『北方四島上陸・占領作戦には艦船18隻9,400人のソ連兵が参加した』…⑥ 命令を誤解して歯舞群島を占領してしまい、結果的に「英雄」となったチチェリン海軍少佐(左)。写真は1945年6月9日、「プロジェクト・フラ」でソ連兵の訓...
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1945年9月1日午前6時55分 ソ連兵800人が色丹島・斜古丹に上陸

北方領土ノート『北方四島上陸・占領作戦には艦船18隻9,400人のソ連兵が参加した9月1日…⑤色丹島に駐屯していた日本軍の兵隊がハンカチに絵の具で描いた1945年9月1日、ソ連軍斜古丹湾入港の様子 色丹島上陸・占領作戦 機雷敷設艦と掃海艇2...