北方領土遺産

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千島列島からの日本人強制退去に関する資料公開へ

千島歯舞諸島居住者連盟関東支部は、第二次世界大戦中のクリル諸島(※北方領土を含む千島列島)解放後、強制退去となった8,835人の日本人に関する資料を札幌で公開する。この資料は、サハリンから函館への引揚船に乗船した人々のリストで、出入国日、氏...
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北方領土・択捉島の日本建築「紗那測候所」1931年改築と判明

紗那測候所は、北方領土・択捉島に残る数少ない日本の木造建築だ。建築年などの詳細は不明だったが、北海道議会などの資料により、1931年(昭和6) 10月に改築されたものと分かった。1931年改築された当時の紗那測候所(「北海道議会史 第3巻」...
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択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった

択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった
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北方領土・択捉島の博物館に展示されているドイツ軍の燃料ドラム缶のなぞ

北方領土・択捉島の郷土博物館に興味深い展示品がある。ドイツ軍の燃料ドラム缶である。ドイツ軍の燃料ドラム缶がいったいどのようにして択捉島にたどり着いたのか?
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『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➂

ソ連占領後、日本人とソ連人が混住していた時代の北方領土・択捉島の出来事をつづった本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』(アナトリー・サモリュク著)の中には、とても信じられないような出来事が紹介されている。
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『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➁

1947年(昭和22年) 1月30日深夜、択捉島クリリスク(紗那)で大火災が発生し、内務省と国家保安省の地区部局に属する家屋5棟、ホテル1棟、日本人住宅2棟が焼失した。
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『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➀

アナトリー・サモリュクさんの『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』から、終戦直後、ソ連占領下の択捉島で起きた事件や事故をまとめてみた。
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1946年ソ連占領下の択捉島 ナゾの死を遂げた住職

択捉島に30年以上住み、地元紙「赤い灯台」の記者として働いたアナトリー・サモリュクさんが2023年に出した本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 - 1950)』«Начинали вместе… с простыми японцами! (Курильские острова: 1945 – 1950 гг»を読んでみた。
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択捉島最大の日本人墓地「紗那墓地」の目の前にロシア正教の礼拝堂建つ

北方領土の択捉島・紗那にある日本人墓地「紗那墓地(リコップオマナイ)」の近くにロシア正教の礼拝堂が建設された。地元紙「赤い灯台」が伝えたもので、礼拝堂の空撮を見ると日本人墓地の直ぐ目の前にあることが分かる。
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【Part 5】リンドバーグ機の「魔空」千島列島上空縦断飛行 窮地を救った落石無線局との交信、ほぼ全記録

【Part 5】リンドバーグ機の「魔空」千島列島上空縦断飛行 窮地を救った落石無線局との交信、ほぼ全記録 根室到着後のリンドバーグ夫妻の全動静(当時の新聞各紙の記事をもとに作成)