北方領土遺産

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ソ連軍による北方領土侵攻と占領を伝えた陸揚庫 PART 1

ソ連軍による北方領土侵攻と占領を伝えた陸揚庫 1 - YouTube
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ソ連軍の北方領土侵攻を伝えた陸揚庫           プロモーションビデオ「もの言わぬ語り部」公開

1929年(昭和4年)9月に旧逓信省により建設された根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)は根室側の陸揚線と国後島へ延びる海底電信線を接続する中継施設で、かつて北方領土に日本人が住んでいた頃、この陸揚庫から延びた海底電信線は、国後島を...
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陸揚庫の歴史的価値、根室市が動画でPR ユーチューブで公開へ

【根室】市は、終戦直後まで根室と北方領土・国後島を結んだ通信用海底ケーブルの中継施設「陸揚庫」の歴史的価値を解説するPR動画を制作し、公表した。旧ソ連軍による北方領土侵攻を本土に電報で伝える際に中継した役割などを説明する内容で元島民の高齢化...
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リレートーク「陸揚庫を語ろう」4月22日、ニホロで開催 来場者に陸揚庫プロモーションビデオ無料配布 陸揚庫啓発パネル展(全30枚)同時開催

ソ連軍の北方四島侵攻と占領を至急電で伝えた根室国後間海底電信線陸揚施設(通称・陸揚庫)のプロモーションビデオ(34分)と啓発用パネル(30枚)が完成しました。4月22日(土)午後1時30分から、根室市内の道立北方四島交流センター(ニホロ)で...
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陸揚庫の保存方法、ガラス「覆い屋」方式で 根室市の専門家会議

終戦直後まで北方領土・国後島と根室をつないでいた根室市の通信用海底ケーブルの陸揚げ施設「根室国後間海底電信線陸揚(りくあげ)施設」(通称・陸揚庫)の保存・活用方法について、同市の専門家会議は25日、全体を透明な特殊ガラスで囲う「覆い屋」方式...
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専門家会議「旧ソ連侵攻の“証人”」 根室の陸揚庫「覆屋」で保存案 領土返還のシンボルに 

【根室】終戦直後まで根室と北方領土・国後島をつないだ海底電信線の中継施設「陸揚庫」に関し、根室市の専門家会議分科会が25日、保存と活用に関する報告書案をまとめた。北方領土関連の歴史的建造物である点を考慮し、次の世代に領土返還運動を引き継ぐ「...
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国登録有形文化財「陸揚庫」覆屋保存を提言 根室と国後島をつないだ海底電信線の中継施設

【根室】終戦直後まで根室と北方領土・国後島をつないだ海底電信線の中継施設で国登録有形文化財の「陸揚(りくあげ)庫」について、根室市による保存活用法を協議する専門家会議分科会は25日、特殊ガラスなどを用いた建築物(覆屋)で囲う案を報告書に盛り...
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択捉島最古の振別 旧跡、史跡「累々として尽きず」 

昭和8年に出版された「根室千島両国郷土史」(本城玉藻編)に、択捉島・振別に関する興味深い記述がいくつか出てくる。「◎振別湾 振別村は本島最古の旧跡にして史跡、又累々たり。今は荒廃して、僅に漁家三戸永住するのみなり。古都の周囲高丘には幾多の記...
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択捉島・振別の開拓先人の墓 「根室千島両国郷土史」に新たな名前

北方四島には元島民の墓地が52カ所確認されているが、そこから除外されている日本人の墓が択捉島の振別に存在する。元島民が島に渡るよりももっと前、江戸時代末期に、南下を図る帝政ロシアの圧力から島々を守るため派遣された各藩の藩士たちの墓だ。約20...
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択捉島に残る松前藩士の墓 厚岸・国泰寺の僧侶が供養  

北海道博物館は4日、羅臼町郷土資料館で、公開講座「未来につなぐ北方四島の歴史・文化」を開いた=写真=。江戸時代後期に択捉島の松前藩士の墓に、厚岸町の寺院の僧侶が法要に墓参していたことが報告され、講演した北海道博物館の東俊佑学芸員は「江戸時代...