北方領土遺産

北方領土遺産

根室「陸揚庫」保存か復元か 海底ケーブル中継施設、市が調査

根室市は13日、終戦直後まで根室と北方領土・国後島をつないだ通信用海底ケーブルの中継施設「根室国後間海底電信線陸揚(りくあげ)施設(陸揚庫)」=同市西浜町=について、保存方法を検討するための詳細な調査を始めた。調査を基に現状のまま保存するか...
北方領土遺産

北方四島との歴史感じて 根室国後間海底電信線陸揚庫 

(北海道新聞「支局長だより」2022/9/11) 根室市西浜町ハッタリ浜。北方領土・国後島を望む海岸の一角に高さ4㍍弱、床面積20平方㍍ほどの鉄筋コンクリートの建物がある。壁はところどころ落ち、屋根の一部に雑草が生えている。この建物が、昨年...
北方領土遺産

「陸揚庫」再発掘調査12日から 保存、活用のデータ収集

根室市と同市北方領土対策に関する専門家会議(陸揚庫の保存と活用を考える分科会)は12日から、登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚庫」の調査を行う。陸揚庫のコンクリート劣化度を測るほか、施設周りの遺構調査を行うもので、具体的な保存方法や活...
北方四島の話題

南クリル地区(北方四島)の歴史から 1946年9月、最初のロシア人学校が開校

赤軍が南クリル諸島(北方四島)を占領した後の1945年8月から9月にかけて、国後島、色丹島、小クリル諸島(歯舞群島)の島々で17の日本人学校が運営されていた。色丹島と小クリル諸島のゼリョーヌイ島(志発島)、ポロンスキー島(多楽島)、ユーリ島...
ビザなし渡航

残された時 2世もわずか 両親が歯舞群島多楽島出身・中村悟さん(73)<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>3

「2世にも残された時間は少なくなっている。元気なうちにもう一度島に行きたい」。7月下旬、東京都立川市から根室を訪れた歯舞群島多楽島元島民2世の中村悟さん(73)は焦る気持ちを吐露した。根室訪問は、元島民や子孫らが船上から先祖を供養する洋上慰...
北方領土ノート

故郷失う子、増やさないで 国後島泊村出身・松崎紀子さん(81)=標津町<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>2 

1945年(昭和20年)、ソ連軍が国後島に上陸した9月1日からほどないある日、泊村にあった松崎紀子さん(81)=標津町薫別=の家の庭に、1人のソ連兵が馬で入って来た。「肩に鉄砲を下げていた。母は急いでトイレに隠れました」…(北海道新聞根室版...
北方四島の話題

択捉島 サハリンの観光客が興味をそそられた石の物体「これは何?」

択捉島を訪れたサハリンの観光客は、日本語が刻まれた古い石の物体に注意を向けた。「誰かこれについて何か情報を持っている人はいますか? それは択捉島にあります」と、観光客はテレグラム・チャンネル「サハリン・フリーマーケット」のユーザーに問いかけ...
北方領土ノート

旧ソ連の北方四島侵攻77年 記憶たどる元島民たち「戦争の犠牲者はいつも市民」

第2次世界大戦末期の旧ソ連軍による北方四島への侵攻開始から28日で77年。継承国ロシアのウクライナ侵攻を受け、日ロ関係はかつてなく悪化し、北方領土交渉も四島へのビザなし渡航も再開の見通しが立たなくなった。「戦争の犠牲になるのは、いつの時代も...
北方領土遺産

北方四島の「証し」 後世に ~戦後77年 いま見つめる北海道の記憶③~

2021年2月に亡くなった歯舞群島・多楽島出身の東狐貢さんの十八番芸—元島民が集う懇親会で、おじいさんがコンブ採りの時に着ていた作業着「ドンザ」をまとい、古里の多楽島をひもで手繰り寄せ、会場を湧かした。島の記憶 77年前、北方四島に旧ソビエ...
北方領土ノート

北方領土返還、諦めない 「古里を伝え続ける」択捉島出身・山本忠平さん(87歳)

北方領土最大の島、択捉島出身の山本忠平さん(87)=神戸市中央区=は77年前、旧ソ連軍の占領下での暮らしを余儀なくされ、追い出されるように日本へ強制送還された。13年前から「語り部」となり、戦前からの島での暮らしを伝えている。ロシアによるウ...