北方領土遺産

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《Part 1》リンドバーグ機の「魔空」千島列島上空縦断 窮地を救った落石無線局との交信、ほぼ全記録

1931年(昭和6年) 8月、ニューヨークから北太平洋を横断し千島列島沿いに根室を目指していたリンドバーグ夫妻。8月19日、カムチャツカ地方のペトロパブロフスクから根室港まで1443kmを一気に飛行する予定だったが、「千島の魔空」が立ちはだかった。この地方特有のガス(海霧)である。リンディ機は千島列島で3度の不時着水を余儀なくされたが、その窮地を救ったのは落石無線局と千島列島に派遣されていた農林省の海獣保護監視船だった。
北方領土遺産

❝リンドバーグと北方領土❞ 魔空の千島 リンドバーグ機は3度、不時着水を余儀なくされた

1931年(昭和6年)、ニューヨークから北太平洋を横断し千島列島沿いに根室港を目指していたリンドバーグ夫妻が搭乗した「シリウス」は、悪天候のため千島列島で3度不時着水している。
北方領土遺産

択捉島の単冠神社にあった手水鉢が消えた?! 島の文化的遺産を販売する人たち

日本の石のボウル(手水鉢)は何年も前に択捉島の住人によって発見された。そして、それがどこに消えたのかについては、さまざまな噂がある。択捉島の文化遺産に対する考え方はさまざま。ある人にとっては大切に保存する価値があり、他の人にとっては骨董品として金を稼ぐチャンスでしかない。
北方領土遺産

戦前の北方領土・国後島でロケを敢行
映画「生命の冠」知られざるエピソード

戦前の北方領土・国後島でロケを敢行した映画「生命の冠」の知られざるエピソード
北方領土遺産

15歳の原節子は国後島に渡ったのか
戦前の国後島でロケを敢行、往時の情景を今に伝える
映画「生命の冠」

1936年(昭和11年)に国後島で撮影された映画「生命の冠」--。碓氷缶詰古釜布工場の女工さんや蟹漁に従事する漁師たちがエキストラで出演。荒波にもまれながらの蟹漁の様子や工場内での缶詰の製造工程などもドキュメンタリー的に紹介されており、当時外貨獲得の花形産業といわれた蟹缶詰産業の貴重な映像資料にもなっている。
北方領土遺産

国後島の「まれびと」猪谷六合雄の流儀

1929年、猪谷六合雄夫妻は国後島の古丹消を訪れ、そのまま6年暮らした。この間、家2軒とスキーの大小7つのシャンツェを造り、島民にスキーを教えた。古丹消で完成した「猪谷さんの靴下」は今も編み継がれている。
北方領土遺産

国の登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設」(通称・陸揚庫)に仮の覆い屋

根室市西浜町にある国の登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設」(通称・陸揚庫)で仮りの覆い屋工事が行われています。
北方領土ノート

<択捉は今 旧ソ連四島侵攻79年>㊤ 途絶えた交流、消えゆく「日本」

旧ソ連の北方四島侵攻開始から79年が過ぎた。四島最大の島・択捉の今を伝える。(北海道新聞2024/8/29)■旧国民学校、火災で全焼 8月下旬、北方領土・択捉島中心部を流れる紗那川の河口近く。住宅街を歩くと、1メートル近い雑草が生い茂る一角...
北方領土ノート

北方領土「共生時代」の日露 実話元にロシア脚本家が執筆、出版

旧ソ連による北方領土侵攻から今年で79年。富山県は北海道に次いで引き揚げ者が多く、島別で見ると歯舞群島・志発(しぼつ)島からが746人と最も多い。戦後、島の日本人とソ連本土からの移住者が混在して暮らした「共生時代」に、志発島で小舟で沖に流さ...
北方領土遺産

物語「舟」のPRと情報提供呼びかけ ソ連占領下の北方領土で実際に起きた知られざる遭難事件

今年の「洋上慰霊」から、参加者同士が下船後に交流する懇親会が行われていますが、その中で、1947年にソ連占領下の北方領土・志発島で実際に起きた知られざる遭難事件をモチーフにロシア人脚本家が書いた物語「舟」の紹介と情報提供の呼びかけを行ってい...