北方領土遺産

北方領土遺産

決死の搬出 報われる日は–国後島の登記簿1万筆

北海道新聞<風街だより> (2020/10/25電子版) 釧路地方法務局根室支局の会議室に1枚の遺影がかかっている。穏やかな表情を浮かべ、丸めがねの奥から実直そうな目がのぞく。説明書きにこうある。 <国後島からの決死の登記簿搬出について「私...
北方領土遺産

無名時代の原節子出演 幻の北方領土映画「生命の冠」

朝日新聞北海道版に「原節子と北海道」という記事が掲載されていました。幻の北方領土映画として「生命(いのち)の冠」が取り上げられています。1936年(昭和11年)に国後島でロケを敢行し、同年6月に公開された内田吐夢監督の映画「生命の冠」は、戦...
北方領土遺産

択捉島で発見された観音像 流感で死んだ島民の冥福を祈って建立した三十三観音像の1つか? 建立したのは高橋暁道さん(元護国寺住職=別海)

今年7月、択捉島の留別で見つかった観音像について、新たな情報が寄せられた。観音像の願主は、戦前留別にあった曹洞宗・法蔵寺住職の故高橋暁道さんで、大正から昭和にかけて悪性の流感で村人が多数死んだことから、犠牲者の冥福を祈って建立した三十三観音...
北方領土ノート

『逃げるべきか、とどまるべきか』–若き支庁長の決断

あるいは、この人が北方領土問題を強く意識して、行政としての対処方針を示した最初の人かもしれない。 ソ連軍が北方四島に上陸、占領した時の根室支庁長・徳永俊夫さんである。 「島民ニ告グ」という支庁長告示の中で「領土関係は未だ正式決定を見ず、従っ...
北方領土遺産

「消える四島の日本建築」 択捉島・紗那国民学校の一部が解体された

9月15日付毎日新聞に、択捉島に残る数少ない日本建築「紗那国民学校の一部が老朽化のため取り壊された」という記事が掲載されていました。紗那国民学校は1938年(昭和13)に建設され、当時の名称は紗那尋常高等小学校でした。ソ連占領後は、日本人が...
北方四島の話題

択捉島の日本建築「紗那国民学校」の一部が取り壊された

択捉島に残る数少ない日本建築の1つ「紗那国民学校」の一部が取り壊されたようです。最近の写真(下)を見ると、右側にあった大きな建物がなくなっています。択捉島の行政関係者から、老朽化による取り壊わしの可能性が指摘されていた部分です。
北方四島の話題

色丹島、1950年代の街並み サハリンの女性が写真保管

北海道新聞2020/8/9 北方領土が1945年(昭和20年)に旧ソ連に実効支配された後、ソ連の建築物などが増えた1950年代半ばの色丹島の街並みや捕鯨基地が写ったモノクロ写真を、当時、島で暮らしていたロシア・サハリン州の女性が保管している...
北方領土遺産

根室–国後 旧海底ケーブル施設「陸揚庫」文化財へ一歩

北海道新聞2020/8/7戦前、根室と北方領土・国後島を結んだ電話用の海底ケーブルの中継施設で、根室市内に建物が残る「陸揚庫(りくあげこ)」で6日、文化庁の文化財調査官が国の登録有形文化財指定に向けた調査を行った。
北方領土遺産

根室の陸揚庫、文化財登録へ 文化庁調査官が現地調査へ

読売新聞2020/8/1戦前の北方領土・国後島と根室市を結ぶ電話回線として使用された太さ約7センチ、全長約38キロの海底ケーブルの関連施設で、同市西浜町に残る「旧千島回線陸揚げ庫」跡を、貴重な歴史的遺産として国の有形登録文化財に登録する準備...
ビザなし渡航

『私たちは旧島民に温かい気持ちを持っている。一緒に住んでいたとき、助けてもらったのだから』

1992年ビザなし渡航第1陣(四島在住ロシア人19人)の新聞記事から   1992年4月22日—27日まで、ビザなし交流(北方四島交流)の第1陣として初めて北海道を訪れた四島在住ロシア人19人。当時の新聞記事を読むと、新たな歴史の扉を開く出...