北方領土遺産

北方四島の話題

1955年に撮影された択捉島・紗那のサケマスふ化場

1955年に撮影された択捉島・紗那のサケマスふ化場。ソビエトの写真家セミョン・フリードランド撮影。(写真はREGON65COMより)北方領土遺産「四島の遺産たち」…④択捉島のサケ・マスふ化場
北方四島の話題

1955年 択捉島 ラディッシュの収穫

ソビエトの写真家セミョン・フリードランドが1955年に撮影した択捉島のカラー写真。楽しく収穫しているのはラディッシュ(ハツカダイコン)のようです。写真はREGON65COMより。
北方領土遺産

占領から10年 カラーで撮られた択捉島・紗那の町並み

ソ連時代の写真家セミョン・フリードランドがカラーで撮影した1955年の択捉島クリリスク(紗那)の町並み。占領から10年。紗那郵便局も、向かいの水産会事務所も、右奥の紗那国民学校も戦前の姿をとどめている。しかし、よく見ると、日本の建物の屋根や...
北方四島の話題

羅漢さんの観音像、見つかる — 択捉島

「イトゥルプ(択捉島)で観音像見つかる」というサハリンからのニュースに目がくぎづけになった。今年7月のことだ。石造りの観音像は瀬石温泉近くの道路脇に埋もれていた。正面を写した写真からは、いつ誰が建てたのか分からなかった。 数日後、島に住むロ...
北方領土遺産

根室色丹会 開拓の功労者・小林八十吉翁の功績を伝える冊子を作成

北方四島の色丹島出身者で組織する根室色丹会(木根繁会長)が、明治、大正、昭和と3つの時代をまたいで、島の開発・発展に尽力した先達小林八十吉翁の功績を後世に伝えようと小冊子を作成した。以下、「色丹開拓の偉大な恩人 小林八十吉伝」の一部を紹介す...
北方領土遺産

決死の搬出 報われる日は–国後島の登記簿1万筆

北海道新聞<風街だより> (2020/10/25電子版) 釧路地方法務局根室支局の会議室に1枚の遺影がかかっている。穏やかな表情を浮かべ、丸めがねの奥から実直そうな目がのぞく。説明書きにこうある。 <国後島からの決死の登記簿搬出について「私...
北方領土遺産

無名時代の原節子出演 幻の北方領土映画「生命の冠」

朝日新聞北海道版に「原節子と北海道」という記事が掲載されていました。幻の北方領土映画として「生命(いのち)の冠」が取り上げられています。1936年(昭和11年)に国後島でロケを敢行し、同年6月に公開された内田吐夢監督の映画「生命の冠」は、戦...
北方領土遺産

択捉島で発見された観音像 流感で死んだ島民の冥福を祈って建立した三十三観音像の1つか? 建立したのは高橋暁道さん(元護国寺住職=別海)

今年7月、択捉島の留別で見つかった観音像について、新たな情報が寄せられた。観音像の願主は、戦前留別にあった曹洞宗・法蔵寺住職の故高橋暁道さんで、大正から昭和にかけて悪性の流感で村人が多数死んだことから、犠牲者の冥福を祈って建立した三十三観音...
北方領土ノート

『逃げるべきか、とどまるべきか』–若き支庁長の決断

あるいは、この人が北方領土問題を強く意識して、行政としての対処方針を示した最初の人かもしれない。 ソ連軍が北方四島に上陸、占領した時の根室支庁長・徳永俊夫さんである。 「島民ニ告グ」という支庁長告示の中で「領土関係は未だ正式決定を見ず、従っ...
北方領土遺産

「消える四島の日本建築」 択捉島・紗那国民学校の一部が解体された

9月15日付毎日新聞に、択捉島に残る数少ない日本建築「紗那国民学校の一部が老朽化のため取り壊された」という記事が掲載されていました。紗那国民学校は1938年(昭和13)に建設され、当時の名称は紗那尋常高等小学校でした。ソ連占領後は、日本人が...