北方領土遺産

北方四島の話題

択捉島の日本建築「紗那国民学校」の一部が取り壊された

択捉島に残る数少ない日本建築の1つ「紗那国民学校」の一部が取り壊されたようです。最近の写真(下)を見ると、右側にあった大きな建物がなくなっています。択捉島の行政関係者から、老朽化による取り壊わしの可能性が指摘されていた部分です。
北方四島の話題

色丹島、1950年代の街並み サハリンの女性が写真保管

北海道新聞2020/8/9 北方領土が1945年(昭和20年)に旧ソ連に実効支配された後、ソ連の建築物などが増えた1950年代半ばの色丹島の街並みや捕鯨基地が写ったモノクロ写真を、当時、島で暮らしていたロシア・サハリン州の女性が保管している...
北方領土遺産

根室–国後 旧海底ケーブル施設「陸揚庫」文化財へ一歩

北海道新聞2020/8/7戦前、根室と北方領土・国後島を結んだ電話用の海底ケーブルの中継施設で、根室市内に建物が残る「陸揚庫(りくあげこ)」で6日、文化庁の文化財調査官が国の登録有形文化財指定に向けた調査を行った。
北方領土遺産

根室の陸揚庫、文化財登録へ 文化庁調査官が現地調査へ

読売新聞2020/8/1戦前の北方領土・国後島と根室市を結ぶ電話回線として使用された太さ約7センチ、全長約38キロの海底ケーブルの関連施設で、同市西浜町に残る「旧千島回線陸揚げ庫」跡を、貴重な歴史的遺産として国の有形登録文化財に登録する準備...
ビザなし渡航

『私たちは旧島民に温かい気持ちを持っている。一緒に住んでいたとき、助けてもらったのだから』

1992年ビザなし渡航第1陣(四島在住ロシア人19人)の新聞記事から   1992年4月22日—27日まで、ビザなし交流(北方四島交流)の第1陣として初めて北海道を訪れた四島在住ロシア人19人。当時の新聞記事を読むと、新たな歴史の扉を開く出...
北方四島の話題

択捉島・天寧 日本軍の巨大な遺構 真珠湾奇襲部隊が出撃した単冠湾を望む

ロシアのニュースメディアサイト「Fishki.net」に、択捉島のブレベスニク(天寧)に残る日本軍の遺構を紹介した記事があります。(「エトロフpart 2」2019年2月16日)-- 日本軍の巨大な施設が今も残っているとは知りませんでした。...
北方四島の話題

択捉島・留別で見つかった観音像 願主は法蔵寺の高橋暁道住職だった

択捉島の留別で発見された千手観音像が彫られた石仏(7月10日サハリン・インフォの記事)は、留別墓地近くにあった法蔵寺(曹洞宗)にあったものだったことがわかった。石仏の裏側には「昭和八年七月十(八?)日 願主 暁道」と刻まれていた。調べてみる...
北方四島の話題

三角定規が見つかった国後島ウエンコタン川第1の滝と第2の滝

●ウエンコタン川第1の滝(2019年6月) 「タカハシレイコ」さんの三角定規は、国後島のウエンコタン川にある第1の滝と第2の滝の間にある川岸で見つかったという。 2011年9月と2019年6月の自由訪問に参加した時、2つの滝があるところまで...
北方四島の話題

三角定規が語る、モノがたり…

戦前、国後島に住んでいた、ある女性を捜している。きっかけは6月。北方四島在住のロシア人から送られてきた1枚の写真だった。あめ色のくしや髪飾りとともに写っていた三角定規。小刀で彫ったものか、ぎこちない片仮名で「タカハシレイコ」とあった。セルロ...
北方領土遺産

文藝春秋1969年8月号「千島列島最後の日」

ある元島民の手記が掲載されている1969年(昭和44)の発行の月刊文藝春秋8月号と、1975年(昭和50)発行の「季刊北方領土」(北方領土問題対策協会)を入手しました。確認したいことがあって、インターネットで検索し、古本屋で在庫を見つけまし...