北方領土遺産

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「プロジェクト・フラ司令官の報告書」(米国国立公文書館)を読む

太平洋戦争の末期に、米国が対日戦争に備えてソ連海軍の軍備増強を支援した極秘作戦「プロジェクト・フラ (PROJECT HULA)」--。米国が提供した149隻の艦船はソ連太平洋艦隊に移管され、南樺太や朝鮮半島、そして北方四島を含む千島列島の...
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ソ連占領下の紗那国民学校 子供たちは何を勉強したか 一時はスターリン憲法と伝記も

択捉島・紗那国民学校の青田武貴校長(故人)が残した『紗那国民学校経過報告書』によると、昭和21年1月、すべての教科書に対してソ連側の検閲が行われ、皇室に関する記述をはじめ戦争や神々に関するものは全部削除されたという。また、修身、国史、地理は...
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1946年9月9日 ソ連占領下の紗那国民学校 校庭で遊ぶ日本とソ連の子供たち

ソ連占領から約1年後の1946年9月9日、択捉島の紗那国民学校の校庭を写した2枚の写真がある。ソ連が島に派遣した学術調査団に随行していたソ連人の写真家イワン・ステパノビッチ・クワチが撮影したもので、撮影日時と場所が記録されている。写真のキャ...
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紗那国民学校の「御真影」の顛末 ソ連の手で汚されてはならないと奉焼

択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)が残した「紗那国民学校経過報告」で、青田校長がいの一番に記しているのは「御真影奉護に関する件」だった。 御真影とは「天皇と皇后の写真」で、各学校には教育勅語の謄本とともに御真影を納...
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択捉島『紗那国民学校経過報告書』ソ連占領下で何が行われたか

今年1月に焼失した択捉島・紗那国民学校の最後の校長を務めた青田武貴さん(故人)は、1945年8月15日の「終戦の日」から、ソ連軍占領下での国民学校の出来事を「紗那国民学校経過報告」として記録していた。◉御真影奉護に関する件(勅語詔書) 昭和...
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邦字新聞「新生命」に見る北方領土・南樺太からの引揚 ソ連のプロパガンダ

『新生命』はソビエト連邦極東軍管区によりユジノサハリンスク(1946年に豊原から改名)で、唯一存続していた日本語日刊紙『樺太新聞』がソ連当局により閉鎖された後、1946年に発刊された。新聞には「日本人住民への赤軍の新聞」と記載されている。同...
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「偉大なるスターリンへ感謝の言葉」北方領土元島民、引揚前日の帰国者大集会で

択捉島の紗那国民学校の青田武貴校長が書き残した「引揚日誌」の1947年9月18日に興味深い記述がある。引揚船への乗船前日、引揚者全員が参加して開かれる大集会で、紗那を代表して演説する団長の原稿作成を依頼されている。その原稿の下書きと清書が残...
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北方領土遺産「引揚日誌」 択捉島・紗那国民学校の青田校長が書き残した資料から

今年1月に焼失してしまった択捉島の紗那国民学校で、ソ連軍侵攻時に校長を務めていた青田武貴(たけき)さん(1990年に88歳で死去)が書き残した日誌などの資料を「北方領土遺産」として記録にとどめておきたいと思う。北海道根室振興局時代に取り組ん...
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根室港に着水したリンドバーグ機を「択捉島」の写真として掲載 北対協「デジタル図録」

北海道新聞で紹介されていた北方領土問題対策協会(東京)のウエブサイトにある「デジタル図録」「北方領土バーチャル資料館」をのぞいてみた。いずれも北方四島の元島民らから寄贈された貴重な資料だが、資料の説明でいくつか疑問を抱かせるものも見受けられ...
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北方領土で日本人が暮らした証し見て 元島民ゆかりの品、各地で展示

北方領土問題対策協会(北対協、東京)が、北方四島の元島民らから寄贈された、かつて島で使われた日用品などの公開に力を入れている。同協会のホームページ上での公開に加え、今年から各地で展示会を開き、今後は利用者が閲覧しやすいように資料のデータベー...