根室国後海底電信線陸揚庫

根室国後海底電信線陸揚庫

国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚庫」の価値とは何か

「根室国後間海底電信線陸揚庫」の価値とは何か【建築物としての価値】【北方領土との関わりにおける価値】「ソ連軍による北方領土侵攻と占領を伝えた歴史の証人」「もの言わぬ語り部」
根室国後海底電信線陸揚庫

国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設」(通称・陸揚庫)の概要

国登録有形文化財「根室国後間海底電信線陸揚施設」(通称・陸揚庫)の概要 陸と海の電信線架設・敷設経過 陸揚庫の保存と活用に向けた取り組み
根室国後海底電信線陸揚庫

北方領土遺産『千島電信回線陸揚庫』…③流氷による断線事故相次ぐ

流氷による断線障害続発し、ルート変更〇…死者6人の犠牲を払って完成させた悲願の千島電信回線だったが、1899年(明治32年)2月と3月に相次いで障害が発生する。原因究明と修理のため派遣された西方技手は沖縄丸に乗船して7月30日に根室入りした...
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北方領土遺産『千島電信回線陸揚庫』…②人跡未踏の難工事6人が犠牲に

標津川の河口にかろうじて姿をとどめていたレンガ造りの陸揚室、その後崩壊した 『得撫以東は全く無人の島嶼に帰し候』〇…1875年(明治8年)の樺太・千島交換条約によって、日本は樺太を放棄する代わりに、得撫島以北を領有することになった。千島列島...
根室国後海底電信線陸揚庫

北方領土遺産「千島電信回線陸揚庫」…①

〇…戦前、根室と国後島、択捉島は電信回線でつながっていた。旧逓信省が1900年(明治33年)に、根室市ハッタリ浜-国後島ケラムイ岬(約38㎞)に海底ケーブルを敷設。国後島の北端・白糠泊までは電柱を伝わせ、国後水道でまた海底にもぐり、択捉島の...