択捉島の郷土博物館 ウルップ島で発見された日本の「標柱」のナゾを追う

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択捉島の郷土博物館にウルップ島で発見された日本の「標柱」が収蔵された。エレナ・グルゾヴィコワ館長は、サハリン州郷土博物館の同僚とともに、日本語で書かれた碑文の意味と、この標柱がどのような目的で使われていたのかという疑問の解明に取り組んだ。

翻訳アプリによると、この標柱の目的について2つの可能性が示された。1つは、柱に記されていた文字から、川にかける橋の修復現場に設置されたものだということだった。「橋梁修復作業は日本軍が行っていたと推測できます。なぜなら、標柱はウルップ島のファン・デル・リンデ岬近くの水域で発見されたからです」

もう一つの手がかりは、標柱に「生田原」という表記があったこと。北海道には実際に「生田原」という地名が存在することが判明した。生田原ではかつて金の採掘が行われていた。「そして、ご存知の通り、ウルップにも金鉱があります」と、エレナ・グルゾヴィコワ館長は説明する。

しかし、ウルップ島で見つかった標柱にまつわる話は、きわめて平凡なものだった。日本語の専門家が説明してくれたところによると、その柱は建設工事用の柱で、北海道では主に山や河川で掘削工事が完了した後に設置されるとのことだった。館長は「自然災害後、生田原八重の川に架かる橋の復旧工事は2007年に行われたようです。工事の発注者は遠軽町で、施工者はタカハシ建設でした」と語る。

工事現場の標柱は川に倒れ、ウルップ島の海岸に漂着した可能性が高い。これは2016年の夏、北海道東部を複数の台風が襲い、河川の氾濫を引き起こした際に起きた可能性がある。「サハリン州郷土博物館の職員であるオルガ・シュビナ氏も同じ説を提唱しています。彼女は、柱は2007年に遡る最近のもので、嵐によってウルップ島の海岸に漂着した可能性が高いと述べています。千島列島の歴史とは一切関係がありませんでした」とエレナ・グルゾビコワ館長は結論づけた。

「標柱自体はありふれた物ですが、辿ってきた道程は並外れた旅路です。それがどれほどの謎と混乱をもたらしたことでしょう」–。この標柱は、郷土博物館の「日本の暮らし」をテーマにした展示の一部に加えられた。(択捉島の地元紙「赤い灯台」2025/12/5)

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