択捉島の単冠神社にあった手水鉢が消えた?! 島の文化的遺産を販売する人たち

北方領土遺産

日本の「石のボウル」はどこに消えたのか? 情報求む

この日本の石のボウル(手水鉢)は何年も前に択捉島の住人によって発見されたと言われています。そして、それがどこに消えたのかについては、さまざまな噂があります。この石のボウルが何なのか、どこで発見されたのか、そしてその運命がどうなったのかを知っている人は、情報をお寄せください。(「赤い灯台」テレグラム2024/10月10日)

文化的遺産が島外に持ち出されたのは誰のせいか

先週、私たちはテレグラムチャンネルに日本の石のボウルの写真を掲載し、読者に情報を求めました。すぐに興味深く有意義な情報が寄せられました。本日の号に掲載された記事は「日本のボウルの秘密」というタイトルです。私たちは発見物の話題を続けるための記事を準備していることを付け加えておきます。特に、これらの発見物がクリル諸島(※この場合、北方四島)から持ちだされたのは誰のせいか、お伝えします。(「赤い灯台」テレグラム2024/10/18)

文化財として保存するか、売って儲けるか

択捉島の文化遺産に対する考え方はさまざまです。ある人にとっては、発見された破片、茶碗、斧などの遺物は、地元の貴重なものであり、大切に保存する価値があります。他の人にとっては、骨董品はお金を稼ぐ単なるチャンスでしかありません。今日のクラスヌイ・マヤーク(赤い灯台)に「エトロフ 販売中」という記事を掲載しました。(「赤い灯台」テレグラム2024/10/25)

「エトロフ 販売中」

択捉島クリリスク(紗那)のクリル中等学校には博物館がある。コレクションの中で、かつて択捉島に住んでいたアイヌと日本人が使っていた食器や日用品などが展示されている。

このコレクションは、中等学校がまだ古い建物にあった時代に、教師や生徒たち、保護者が島をハイキングした際に見つけたものを持ち寄ったり、ジャガイモを植えた畑から掘り出したものだ。

その結果、さまざまな人形、斧、矢じり、茶碗、諸々の破片が集められた。いくつかは接合され、他のものは破片のままだ。

当時、学校博物館はヴェラ・イワノヴナ・シュラブさんによって運営されていたが、現在は彼女の夫であるアナトリー・グリゴリエヴィチさんが携わっている。学校博物館を訪れると、択捉島の歴史のさまざまな時代に関する多くの興味深い知識を持ち帰ることができる。

教師と生徒たちは博物館に持ち込んだ遺物に関する情報を探し、その起源と歴史を学ぼうとした。当時はインターネットがなかったので、本で探した。興味深い人形を見つけたら、それが何であるかを調べた。それはカルト的な物か、単に子供のおもちゃなのか–。

ガラス製の展示ケースの一番下には、大量の空の小瓶が集められている。大きさも色もさまざま。コレクションを収集した人たちの仕事を尊重するため、しまい込むことはせず、展示している。この故郷の歴史に対する慎重な姿勢は、小学校 1 年生から学校で教え込まれている。

島の住民の中には、長年骨董品を収集し、自宅で保管している人たちもいて、一部の人は島の文化遺産を単なる商品と考えている。こうした人々の一人、バランスキー火山(指臼山)の泥泉地域に定住した「イトゥルプスカヤ水文地質学党有限責任会社」のパベル・マルティニュク代表は、日本時代の食器を売って金を稼いでいる。彼は、店に訪れた観光客に許可なく文化遺産を商品として売っている。

この写真は、択捉島を訪れた観光客に売られた茶碗の1つだ。(これについては文書による証拠がある)。彼の「ショップ」では他の展示品も販売されていることが確認されている。

サハリン州文化遺産保護国家検査局は、この茶碗の販売に関する情報を確認したが、エトロフ水文地質学党有限責任会社の代表から、品物をどこで入手し、どのような理由で販売したかについて明確な説明を受けなかった。検査書類は法執行機関に送られた。

法執行機関は、マルティニュク代表が何をしているのかを把握している。彼がこの地域で「お土産」を売買するための適切な許可を持っていないこと。また、エクスカーションを主催したり、温泉を利用したりする許可を持っていないこと…これらの情報は、サハリン州森林狩猟庁によって確認されている。

にもかかわらず、この件に関して大きな反応がないのはなぜか。それに答えるのは難しい。

公平を期すために、文化遺産を販売しているのはマルティニュク代表だけではないことに注意する必要がある。島嶼地域では、歴史的発見物を販売するという申し出がときどきある。ある人にとっては、それは文化遺産であり、他の人にとっては単なるビジネスに過ぎない。(択捉島の地元紙クラスヌイ・マヤーク《赤い灯台》2024/10/25)

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