択捉島 築85年の日本建築が全焼 占領後、日本とソ連の子供が一緒に学んだ小学校

北方領土遺産

17日未明、北方領土・択捉島クリリスク(紗那)で、戦前に日本が建てた紗那国民学校で火災が発生し、約200㎡を焼いた。建物はほぼ焼失したとみられる。

この火事について、SNSのテレグラム・チャンネル「ShikotanNews」に、日本時代に触れて以下のようなコメントが掲載された。

「この建物は1938年に日本人によって学校として建設された。1945年、択捉島がソ連の一部となった後、日本とソ連の子供たちは、しばらくこの学校で一緒に勉強した。その後建物は消防署、図書館、体育館として利用された。自動車の運転教習所とする計画もあったが実現せず、建物は老朽化したまま放置され、1月17日に、築85年の歴史建造物は全焼した。」(ShikotanNews 2023/1/17)

紗那の国民学校の校庭で遊ぶ日本とソ連の子供たち(1946年9月9日撮影)「千の島を巡る1946年のクリル探検(原題:По Земле Тысячи островов. Курильская экспедиция 1946 года)」より

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