中千島の計吐夷島沖で漂流、新知島武魯頓湾へ曳航、そして離陸まで
1931年8月20日 「私は無事だ、根室の気象は?」
リンディ夫妻は寒さとガスと闘いながら不安な一夜を明かした。20日は前夜の不安も一掃されリンディ氏は落石局を呼び出した。(東京日日新聞)
05:00 リンディ機→落石
「おはよう。根室の気象は悪いか?」(東京朝日新聞)
「私は無事である。気象もよくなりガスも晴れて朝日の光を見る」と伝えて来た(東京日日新聞)
落石→リンディ機
「根室は霧、南の風2mだが霧なく海、視野良好。何時、出発か?」(東京朝日新聞)
リンディ機→落石
「もうすぐ出発するつもり。また空から呼び出す」(東京朝日新聞)
リンディ夫妻を新知丸に迎える
リンディ機は19日午後4時15分、落石局と通信中にはたと通信杜絶し根室では大混乱を来し、安否を憂慮されていたが、その後まもなく同機から通信があり、位置が判明安堵した。新知島(しんしるとう)西海岸にあった新知丸は直ちに現場に向かったが、海務と夜のため航行意の如くならず今朝(20日)午前6時40分、漸くリンディ機を発見した。新知丸では直ちにボートを本船より下ろして機体に赴きリンディ夫妻をボートで本船に迎え、夫妻は同船で休息しながら出発その他につき打ち合わせをなし、午前9時半、飛行機に帰ったが、もし濃霧が晴れればこのまま根室に向かうことになるが、容易に晴れる模様がなければムロトン湾に飛び、同湾で天候の回復を待つ予定である。なお飛行機にはガソリン200ガロン残っており、ムロトン湾にも報知機の時準備しておいたガソリン50ガロンあるからこの点は心配ない。(小樽新聞8月21日)
機体危うく破損免れる 魔の濃霧「不安な夜だった」
不時着水中のリンディ機は荒波にもまれて機体をつなぐいかりの綱が切れ、岩礁険しい計吐夷島の沖に激浪に翻ろうされあわや打ち寄せられんとしたが、急を見た本船員の懸命の努力により直ちに本船に引き寄せ船尾につなぎ止めたので幸い大事に至らずして済んだので、この時ばかりは一同思わずほっとした。同洋上は南西の風強く波も高く殊にここは元来荒れる場所としてリンディ夫妻も「昨夜はさびしい無人島の洋上に不安の一夜を明かした。こんな経験は全く初めてのことである」と夫妻は相顧みてしみじみと語り、更に語を継いで「19日は知里保以島(ちりほいとう、得撫島の直ぐ東北)まで飛んだのだが物すごい濃霧のためどうしても前進できず、この島の北から引き返したのだ。ここなら、武魯頓へ直ぐだったのに…」と千島の濃霧がひどくうらめしそうであった。(東京朝日新聞8月21日)
無名の監視船が引き付ける全世界の耳 一躍有名となった新知丸
「漂流せる空の王者リンディ夫妻」を北洋の濃霧中に救った農林省水産局監視船、トン数わずか57トン余の無名の小粒船「新知丸」は一挙にして「世界的な船」になってしまった。黒い海の上、灰色のガスの中から受難のリンディ夫妻の消息を全世界に知らせる新知丸の無電に、全世界の耳は今ひきつけられているのだ。陰うつな監視船から「空の大使」の救助船に–偶然が与えた運命の飛躍とでもいうか。この新知丸の船長高木三郎氏はまだ34歳の青年である。マドロスの生活に入ったのは18、19の少年時代。一昨年の4月から新知丸の船長に任命され一年の大半を北洋無人島から無人島へ濃霧と流氷と戦いつつ、密漁の監視をつづけているのだ。氏の家族は市外大森町に住んでいる。留守宅には夫人のひさ(32)さんと娘さんの保江(5)さんのたった二人切り。新知丸の素晴らしい活躍ぶりをもたらして同家を訪ねると夫人は語る。
8月6日に得撫島から出した便りが数日前に届きました。それには近くアメリカの飛行機がこの辺りを飛ぶはずだが、このひどいガスでは弱るだろう–等と書いてありましたがその飛行機があの様な話で救助に行っていることを新聞で読んで知りました。こちらの海の荒れる時など矢張り気になりますけれど、東京近海の時化の時は却ってあちらの方はなぎだと笑われます。ガスさえなければ千島の方は非常にいい所だそうですけれど、この頃は一番ヒドイ時期だそうで、何卒無事で仕事を勤められれる様にと祈っております(東京朝日新聞8月22日)
06:23 リンディ機→落石
計吐夷島洋上に一夜を明かしたリンディ機より「20日午前5時天候すこぶるよく海上平穏なり」の報あり。出発については何等の知らせがない(小樽新聞)
07:00 リンディ機→落石
「付近にきた新知丸と打合せ出発する」(東京朝日新聞)
落石→リンディ機
「われわれは間もなく出発するであろう。出発の上貴局を呼び出す」(小樽新聞)
07:50 新知丸→落石
リンディ大佐は今朝本船を訪問し遭難の顛末を語った。その際、武魯頓湾(むろとんわん)にガソリン50ガロンあるからこれを使用してもよいと言ったところ、リンディ大佐は非常に喜び、このガソリンを使用させてもらうかもしれないと語った。(北海タイムス)
リンディ機のガソリンはなお200ガロンを残している。よって計吐夷島–根室間の飛行 には途中多少の難航あるとするも十分で絶対不安はない(北海タイムス)
09:45 新知丸→落石
新知丸からリンディ機が出発の準備に着手したとの情報を受けた(釧路新聞)
10:00 新知丸→落石
午前10時、新知丸からの無電によれば9時45分、リンディ夫妻は同船を辞去したが、会談中に「出発後濃霧があれば武魯頓湾に引き返す」と語った(小樽新聞)
10:00 新知丸→落石 リンディ機はエンジン不具合のため出発を断念
リンディ機はエンジン不具合のため出発を断念した。目下、海上波荒く離水不可能なため武魯頓湾の飛行も出来ない模様。新知丸は飛行機を島の風下に曳航している(北海タイムス)
10:30 國際丸→落石
東経148度02分北緯44度18分択捉島の東にある第百國際丸からの無電によれば付近一帯ガスがひどく視界全然ひらけない。風は南南西3m。波少ない。なおコース一帯刻々ガスひどくなりつつある(小樽新聞)
11:45 落石→新知丸 得撫島一帯ガス激しく千島東岸は飛行困難
目下の天候は得撫島(うるっぷとう)一帯濃霧激しく、択捉島は良いとしても国後島はガスあり。千島東岸は飛行困難と見られるので、コースを千島西海岸に変更しても差し支えないと、田中航空官より新知丸を通じてリンディ機に通達した(小樽新聞)
11:50 リンディ機→落石 千島の西側へコース変更許可
リンディ機より根室地方の天候を問い合わせて来たので、この地飛行に宜しい旨を通知した。新知、得撫島方面は濃霧激しいので出発を見合わせているから、航空局の命令により田中航空官はコースを変更し千島の西側を根室に飛来する許可をした(北海タイムス)
14:40 新知丸→落石 リンディ機、新知島武魯頓湾への曳航を希望
リンディ機は計吐夷島を出発しようとしたが、エンジンの調子が悪くリンディ夫妻は船で武魯頓湾に機体を曳航するよう望んでいる。波高く武魯頓湾に赴くは不可能なため風波を避けるべく山の影を求めて曳航している(小樽新聞)
リンディ機は20日午後1時40分頃離水出発せんとしたが、エンジンの調子が悪くひとまず武魯頓湾まで行って修理せんと望んだが、風強く同所へ行くことも不可能になった。仕方なく午後2時になって機体だけ計吐夷島の風下に回しリンディ夫妻は我が新知丸 に乗船中である(東京朝日新聞)
16:00 新知丸→落石
リンディ機は20日朝、根室からの気象通報により飛ぶはずであったが、エンジンの故障を発見したので、武魯頓湾で修理したいと希望したが、武魯頓湾に行くには夜になるので計吐夷島の島影に曵航し、そこで修理して天候回復次第出発するが、もしここで修理不可能な場合は武魯頓湾に曵航して完全に修理をしてから出発する(釧路新聞)
16:06 新知丸→落石 リンディ機を計吐夷島の西浦に曳航中
今朝はガスのために根室の天候を待っていた。正午頃出発しようとしたところエンジンの調子悪いため取りやめた。午後2時からこちらへ曳航をはじめた。機体にアンカーを下ろしていたがアンカーが切れたので本船のともにロープでつないだ。修理は波さえなければ直すにはそんなに困難ではないらしいが、波があって出来ぬとのことであった(小樽新聞)
新知丸がリンディ機を計吐夷島の西浦に曳航しはじめたのは午後2時頃からであったが、これよりさきその不時着水現場あたりは風浪かなり激しかった模様で、前日来新知丸の碇綱で飛行機を繫留してあったのが切断され、更に太いロープで本船に括りつけた上で島影に避難したものらしい。しかし、エンジンの故障は軽微らしく、波浪が静まれば容易に修理出来るとのことである(逓信省発表)
16:45 新知丸→落石
本船(新知丸)はリンディ夫妻を乗せて計吐夷島西湾にただ今着いたが、今夜は同地に泊 まるつもりである。今後1時間おきに15分ずつの連絡を無電によって取るつもりである(北海タイムス)
18:30 新知丸→落石
リンディ氏は今機体修理中。この修理がすめば21日朝無電、連絡する(東京日日新聞)
18:38 新知丸→落石
今本船の碇泊している位置は計吐夷島の北側に当たる。リンディ夫妻は午後6時頃ボートに乗って本船へ来たが、できることなら明朝(21日)朝5時出に出発したいと語っていた(小樽新聞)
19:00 新知丸→落石 リンディ夫妻、計吐夷島沖で機体修理に没頭
リンディ夫妻は午後6 時頃から協力して機体の修理に没頭している 。「故障の箇所は プロペラのすぐしたの所だ」とリンディは語っているからたぶん発動機の一部らしく 「機械が修復すれば21日朝早く出発したい」と流石のリンディもややあせり気味の模 様(東京朝日新聞)
1931年8月21日 新知丸に曳航され武魯頓湾へ 上陸し養狐番屋で眠る
04:00 新知丸のリンディ夫妻から東京朝日新聞社宛の電報
無人島洋上に不時着水、ついで風浪と思わぬ機体の故障から心急ぐ根室への出発を延 期し、現場に急行した新知丸船上に収容されたリンドバーグ夫妻に対して、本社は21日 慰問の電報を発したところ、夫妻より本社にあて左のメッセージを寄せてきた。
「貴電に対し御礼申上げます。昨日は出発しようとしましたがどうしてもエンジンが動 きませんでした。不時着水の余等夫妻にとって新知丸の来着は計り知れぬほど貴重な ものでした。余等は同船の援助のおかげで極めて安穏な日を過ごすことができたので す。風浪の静まるをまち、エンジンの故障箇所を突き詰めるつもりです。リンドバーグ」(東京朝日新聞)
04:30 新知丸→落石
リンディ機はまだエンジンの修理成らぬので午前5時出発の予定であったのを見合わせた(東京日日新聞)
04:40 リンディ機→落石 リンディ機は計吐夷島にあり、エンジン不調
目下リンディ機は計吐夷島にあり。午前5時出発の予定であったが、エンジンの調節整わず出発は遅れる模様である(釧路新聞)
06:00
リンディ氏は午前5時根室に向かい飛ぶといっているが、6時まだ出発の報がないとこ ろから見るとエンジンの調整がとれないのであろう(北海タイムス)
新知丸→落石
リンディ機の故障は点火栓とマグネットの故障である事が判明。海上での作業困難のため、本船は正午、リンディ機を武魯頓湾に曵航し砂浜に引上げて、マグネットを乾燥させ、点火栓の故障を直す事となった(釧路新聞)
07:30 新知丸→落石 昨夜は風強くて機体の修理出来ず
昨夜は風強くて修理出来ぬ模様だった。今や非常なガスとなり武魯頓湾で修理したがっている。もし波があって修理が出来ぬようなら武魯頓湾に行くかもしれぬ(小樽新聞)
09:30 新知丸→落石
リンディ機はまだ短波の使用は出来ない。天気回復すればエンジンの試験をするといっている。今ガスも次第にうすらぎつつあり。エンジンはガスのため試験が思わしくないが若しガスがはれればやるといっている(小樽新聞)
新知丸→落石
リンディ機の短波無線は故障した(釧路新聞)
12:45 リンディ機→落石 新知丸がリンディ機を曳航、武魯頓湾へ
今、武魯頓湾に曵航されており、発動機の幌を外して2、3時間の内にはエンジンの修理は出来るだろう(東京日日新聞)
13:00 リンディ機→落石 リンディ夫妻、落石局職員の厚意に感謝の無電
正午、計吐夷島を出発せる新知丸に曳航され武魯頓湾に向け航行中のリンディ機から落石無電局に対して、「職員各員の御厚意を感謝す」との挨拶があった(北海タイムス)
13:14 新知丸→落石
リンディ機の錨地は波高く、計吐夷島の北側に曳航し修理に着手。21日朝は根室方面さえ天候がよければ出発の予定であったが、その後午前4時30分、本局接受の情報ではモーターの故障でエンジンの調子悪く付近の波高しといってきた。午前6時接受の情報では飛行機機体上部のモーターがまだ修理が終わらないようだ。風は2mの濃霧で視界は狭い(小樽新聞)
15:00 新知丸→落石
リンディ機は曳航中なるも風北西4mで波高く濃霧あり。横から波風を受けているが、機体は無事である。新知丸は午後5時頃武魯頓湾に入港の予定。それから砂浜に引揚げ修理作業に約1時間を要する。本日中に修理しリンディ夫妻は第3夜をここに過ごし明日天候よければ根室に飛来することになろう(釧路新聞)
17:20 新知丸→落石 リンディ機、新知島武魯頓湾に到着
安全に曳航して今武魯頓湾に着いた。湾内静穏なるため砂浜に引き上げずして修理中(北海タイムス)
17:20 新知丸→落石 リンディ夫妻は島に上陸、養狐場の番小屋に宿泊
田中航空官は「武魯頓湾には農林省養狐場の番小屋があって畳の敷かれた部屋もあることであるから今夜一晩くらい同番小屋にゆっくり休養して機体も砂浜に引き上げた上修理するよう注意の無電を発した(北海タイムス)
22:30 新知丸→落石 リンディ夫妻を新知丸に招き晩餐
引航中は北西の風がかなり強かったが午後5時無事武魯頓湾内にけい留することができた。この頃から天候次第に良くなってきたが夫妻は晴れゆく夕空を眺め「22日午前3時頃から手入れをしよう」と晴れやかな面持ちで語った。22日早朝と決まったので我ら船員は総掛かりでフロート上に足場を設けその準備を整えた。リンドバーグ夫妻は22日朝こそいよいよ出発の自信あるらしく思われる、前途を急ぐが飛行するにあたって非常に細心であって、これでこその壮挙を成し遂げうるものと我等船員は皆感動した、準備を終えるとリンドバーグ夫妻を本船に迎えて晩餐を共にしたが、無人島洋上の3日目初めて陸上の小屋に宿ることとなったリンドバーグ夫妻は自分たちが丘に上がることが島の人に少しでも迷惑をかけるようなことはないか非常に遠慮深く心を配っていた。しかしやっと決心したらしくリンドバーグ夫妻は愛機から毛布を抱えて上陸し夕暗迫る島の小屋に寝込む支度を始めだした。(東京朝日新聞)
ここは農林省の養狐場で番人3名が住み、野生きつね繁殖の傍ら四国(日、英、米、露)協約による希鳥、怪獣、らっこ、おっとせいの保護監視にあたり、鳥や獣相手に大自然の生活を営んでいるが、この絶海の孤島でも歓迎の声をあげて珍客を迎えた。(東京朝日新聞)
孤島の仮泊に修理成り 鶴首して待つ根室
無人島に等しき中部千島ケトイのあら磯で、機体の上に二夜を波にゆられながらまんじりともしなかったリンディ氏夫妻は21日夕刻新知丸に曳航されて武魯頓湾に入港。同夜はなつかしいあこがれの陸に上り農林省の養狐番人宅で暖かい床でまどかな夢をむすぶ事が出来、前日来の疲労をなおし22日は午前5時半というのに早床を出た2人は直に陸から飛行機に行き愛機の手入れに余念なく、7時半頃新知丸に帰り朝食を取り約30分で食事を終わり、再び飛行機に帰り機体の手入れをなし、9時頃から試運転を行ったが、かんばしからず。さらに調整試験を行った所極めて良好なので午後2時14分武魯頓湾を出発、根室に向かった。(小樽新聞8月23日付)
1931年8月22日 湾内すこぶる快晴、一路根室へ向けて出発
08:20 新知丸→落石
リンディ機は機体を武魯頓湾の海岸に係留して昨夜は上陸の上、狐の番小屋に一泊した。22日午前5時30分、リンディ氏は早くも機体修理の準備に取りかかった。湾内はすこぶる快晴で新知丸からもよく見える。試運転までに約2時間を要する予定である。リンディ氏は快晴にとても元気で落石無線局の心配に対して感謝の意を表していたアン夫人も元気で夫君とともに機上にあって修理に従事している(小樽新聞)
07:30
リンディ夫妻は午前7時30分頃、新知丸に帰り朝食を取り、約30分で食事を終わり、再び飛行機に帰り機体の手入れを続けた(小樽新聞)
11:00 新知丸→落石
リンディ機はまだ修理中。発動機が動かない。この調子ではかなり時間がかかるらしい。数回軽く回して見たが調子がよくない(北海タイムス)
落石→新知丸
リンディ機は発動機の調子依然悪く、発動機の回転数回にて停止する状態で修理にはいまだ数度の試験を要する見込みである(小樽新聞)
12:30 リンディ機→落石
発動機の故障修理終わり、エンジンの調子もすこぶる良い。各地天候良ければ、午後1時30分武魯頓湾を出発し根室に向う。しかし各地天候は快晴である。根室着は午後5時30分頃の予定である(釧路新聞)
14:16 リンディ機→落石 リンディ機、根室に向け武魯頓湾を出発
午後2時10分、根室に向け武魯頓湾を出発した(東京朝日新聞)