2,000人以上の住民が死んだ1952年の大津波 北千島で犠牲者追悼式

千島列島

北千島パラムシル島セベロクリリスクで1952年の津波の犠牲者を追悼する式典が5日、行われた。この津波により町はほぼ完全に破壊され、2,000人以上の住民が亡くなった。

北クリル地区のアレクサンドル・オブシヤンニコフ市長は「11月5日は私たちにとって特別で、過酷で、そして重要な日です。多くの大切な言葉が交わされました。そして今日、それらの言葉は特に強く響きました。今年の7月30日の津波が、私たち一人ひとりの記憶にまだ生々しく残っているからです。自然現象が再びその本性を現したあの日は、私たちにとって厳しい戒めと教訓となりました。だからといって、1952年11月のあの恐ろしい出来事を忘れる権利などありません。私たちは慰霊碑に献花します。自然現象に打ち負かされながらも、私たちの街の精神を失わなかった人々が埋葬されている集団墓地に頭を下げます」と挨拶した。(astv.ru 20205/11/6)

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