北千島「占守島の戦い」80周年 7月1日からロシアが史上最大規模の遺骨収集開始

千島列島

ロシア連邦副首相兼極東連邦管区大統領全権副代表デニス・アンドレーエフ氏とサハリン州第一副知事セルゲイ・バイダコフ氏が北千島シュムシュ島(占守島)を訪問し、7月1日から始まるソ連兵の遺骨収集活動の拠点となるキャンプ施設と慰霊碑の建設工事の進捗状況を確認した。

遺骨収集にはロシア各地から約100人の愛国者が参加する。これほど大規模な捜索がシュムシュ島で実施されるのは初めで、多くの戦死した英雄たちの氏名が明らかになり、軍の栄誉をもって埋葬されることになる。

バイダコフ副知事は「キャンプ場の整備はほぼ100%です。6月30日と7月1日には捜索隊の参加者が到着します。キャンプはクルバトフ地域に展開されます。ロシア軍東部軍管区の工兵と太平洋艦隊の兵士が作業しており、軍は灯台の整備も行っています」と述べた。

サハリンの捜索隊はすでに島内で事前の調査活動を開始している。ロシア捜索運動サハリン支部長のアルチョム・バンドゥーラ氏は「今年は春が早く訪れ、天候も良好で、士気は上がっています。事前調査の目的は、ソ連兵が死亡したと推定される場所を特定し、地面に印をつけることです。捜索隊全員が到着したら、重点的な発掘調査を行います。すでに軍服のボタンや兵士の私物を発見しています」と語った。

また、シュムシュ島では現在、若者の観光グループを受け入れる準備を進めている。ロシア各地から愛国運動に参加した人々は、歴史が繰り広げられた場所を自らの目で見て、それぞれの地域でこの極東の勝利の伝道師となる。

最初のグループは7月15日に到着予定。青少年は歴史家に依る講義、ウクライナでの特別軍事作戦に参加したロシア兵との交流、観光ルートの散策、探索活動といったスケジュールをこなす。

サハリン州観光大臣のアルチョム・ラザレフ氏は「現在『シュムシュ島の道』と名付けられた4つの観光ルートを開発しています。最長は50kmの環状ルートで、島全体と象徴的な戦跡を巡ります。また、5kmから8.5kmの放射状ルートも3つあり、グループが快適に島内を移動し、歴史に触れることができます」と話した。

戦争野外博物館の開館を記念する主要イベントであるトライアスロン「ハイト171」大会とソ連軍によるシュムシュ島上陸作戦の再現は8月18日、80年前の上陸作戦開始日に合わせて開催される。ロシア国内24の地域と友好国から約150人が参加する予定だ。

ロシア連邦副首相兼極東連邦管区大統領全権代表ユーリー・トルトネフ氏は「シュムシュ島は我が国の歴史において重要な一ページです。実際、第二次世界大戦はこの島で終結しました。我が国の兵士たちは圧倒的な敵軍を打ち破り、集団的な英雄的行為を示しました。プーチン大統領の指示により、クリル上陸作戦を記念する軍事史記念碑群がこの島に建設されます。これは、1945年8月、自らの命を犠牲にして圧倒的な敵、すなわち大日本帝国軍から勝利を奪い取った赤軍兵士たちの偉業を永遠に語り継ぐものとなるでしょう」と述べた。(astv.ru 2025/6/25)

◉占守島の戦い 日ソ両軍の死者・行方不明者1,312名

「占守島・1945年8月」(井澗裕『境界研究』No.2)によると、ソ連軍の兵員は8,824人、北千島の日本軍守備隊は第91師団を基幹部隊とした約23,000人で、そのうち占守島には8,480人が配備されていた。ソ連側の戦闘行動日誌によると、両軍の死傷者・行方不明者は日本軍617名(死者234名・負傷者144名・不明者239名)、ソ連軍1,555名(死者514名・負傷者716名・不明者325名)となっている。

日本側の記録では、日本軍の死傷者は約600名、ソ連軍の推定死傷者は上陸戦闘部隊の3割にあたる約1,000名(本土作戦記録第四巻附録「樺太及千島方面の作戦」昭和25年9月 復員局調製)となっている。

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