1945年8月に第二次世界大戦最後の大規模作戦が行われた千島列島の無人島シュムシュ島(占守島)では、類を見ない軍事史記念施設の建設に向けて、綿密な作業が進められている。サハリン博物館・記念施設「ポベーダ」の専門家たちは、英雄的な勝利の物的証拠を後世に残すため、戦場に残された遺物の調査・収集に取り組んでいる。

日本軍戦車の残骸
シュムシュ島を訪れた歴史家の仕事は、静かなオフィスでの研究ではなく、真のフィールド考古学である。彼らの任務は、文字通り、戦いの物的証拠を収集することだ。「ポベーダ」の責任者であるイーゴリ・サマリン氏は「私たちのグループは、クリル上陸作戦(北方四島を含む千島列島上陸作戦)の軌跡を明らかにする歴史的に重要な品々の収集に取り組んでいます。戦車の修復と保存に向けて、失われた部品を収集しています」と語る。

遺物は足元に転がっている。旧道で、歴史家グルーブは日本の軽戦車「ハ号」の重い駆動輪、いわゆる「歯車」を発見した。戦闘車両自体は100メートル離れた場所にひっくり返って横たわっており、底部はひどく損傷していた。「衝撃は非常に強く、駆動歯車とギアボックス部品が破損していました」とサマリン氏は語る。「底部を下ろせば、損傷の程度が明らかになるでしょう。対戦車ライフルの弾痕がはっきりと見て取れるからです。しかし、この車両が何によって破壊されたのかを正確に解明する必要があります」
日本軍はシュムシュ島に合計64両の戦車を保有していたが、実際に戦闘に参加したのはその3分の1、約20両に過ぎなかった。現在、島には13両の戦闘車両の車体が残っており、歴史家たちの任務は、あらゆる詳細を発見し、記録することだ。

戦車だけでなく、島には他の装備品の残骸も残っている。「私たちは今、日本製の日産80型トラックの車体フレームの隣に立っています。これは、私たちのトラックと同じように、木製のキャビンと右ハンドルを備えた、ごく普通の戦闘用トラックでした」と研究者のアレクセイ・オクリメンコ氏は説明する。「戦闘後、ソ連軍の戦利品となり、ここに残った可能性が高いのです」
降伏の知らせを聞いた要塞

日本軍の要塞網も重要だ。最も象徴的な場所の一つが「171高地」で、ソ連の報告書では「無線局のある高地」と呼ばれていました。ここには、カムチャツカ半島からアメリカ領アリューシャン列島に至るまでの無線通信を傍受できるレーダーを備えた通信・監視センターがあった。

「この場所が注目されるのは、1945年8月15日に第282歩兵大隊を指揮していた村上少佐がここに到着したからです」と、通信センターの地下電源棟にいるサマリンは言う。「彼は、ポツダム宣言の条項を日本が受諾する用意があることを述べた昭和天皇の演説の録音を聞くために来たのです」

一説によると、この通信施設を守る信号兵の救援に向かったのは、戦闘中に戦車を破壊された戦車第11連隊の指揮官池田末男だったという。2台のディーゼル発電機が設置されていたこの地下要塞には、エンジンピット、換気システム、重機を固定するためのフックなどが今も保存されている。

大規模な遺骨捜索活動
歴史家たちの活動は、「クリル上陸の足跡を辿る」遺骨捜索隊の活動と並行して進められている。ロシア全土から約100人のボランティアがシュムシュ島に到着し、戦死したソ連兵の遺骨を発見し、敬意をもって再埋葬する。

モスクワからの遠征隊参加者であるマルガリータ・モロゾワさんは「もちろん、ここに来たかったんです。ここは我が国の歴史において重要な場所です。シュムシュは、軍国主義の日本に対する勝利のために払われた代償を私たちに思い起こさせてくれます。皆、喜んで作業に取り組みます」と語った。
歴史家と捜索隊の共同作業は、英雄たちの記憶を永遠に留めるだけでなく、第二次世界大戦におけるソ連国民の最後の勝利を記念する巨大な記念碑となる、将来の軍事史記念碑群のための貴重な資料を収集することにもつながる。

この大規模な作業は、プーチン大統領の直接の指示に基づいて行われている。事業の実施は、ロシア副首相、極東連邦管区大統領全権代表ユーリー・トルトネフ氏、サハリン州知事ヴァレリー・リマレンコ氏の特別管理下にある。クリル諸島上陸当日の8月18日には、軍事史記念施設の第一期が開館する。同日、シュムシュ島では「記憶に残る出来事の軍事史的再現」と、自転車、水上、ランニングの3つのコースで構成されるスポーツトライアスロン「ハイト171」が開催される。また、夏の間中、「シュムシュ島の道」の観光ルートが整備される。(sakh.online 2025/7/2)