北方領土・国後島の泊村 ロシア名「ゴロブニノ」のはずが「ゴロヴィノ」に誤記

国後島の話題

テレグラムチャンネル「南クリル諸島の観光」を運営するオクサナ・リズニッチさんは、北方領土・国後島にある村の地名に誤りがあることに気付いた。

1947年10月15日、ソビエト連邦最高会議幹部会の決定により、国後島南部の村(泊村)がゴロヴニンに敬意を表して「ゴロブニノ」と名付けられた。

ところが、標識には「ゴロブニノ(Головнино)」ではなく「ゴロヴィノ(Головино)」と表記されている。ここにすべての由来があるようだ。

観光ツアー用のパンフレットには「ゴロヴィンスキー断崖」と「ゴロヴィノ」と言う表記があり、この地名がどこから来たのか不思議に思っていたという。

※「ゴロヴィンスキー断崖」は国後島南部太平洋側のオリコノモイ崎のこと。

1811年に軍艦ディアナの船長、ワシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンがクリル諸島の探検に出発した。彼はクリル諸島の正しい名前を確立した最初の人物だった。

ゴロヴニンは新しい島々を発見し、クリル諸島が26の島で構成されていることを確認した。ゴロヴニンの探検隊は、クリル諸島の気候の特殊性、海岸線の性質、沿岸水域の深さなども調査した。1811年7月、ゴロヴニンは国後島で日本に捕らえられた。この事件は「ゴロヴニン事件」として歴史に残る。(astv.ru 2025/2/2)

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