戦前の北方領土・国後島でロケを敢行
映画「生命の冠」知られざるエピソード

北方領土遺産

エピソード1

カニ漁船の遭難は実際に起きた!13人が死亡、葬儀がそのまま映画に

国後島の元島民 六本木兵治さん

昭和10年の春です。古釜布の碓氷缶詰工場で『生命の冠』という日活映画のロケが行われたのです。この映画に女工さんたちがエキストラで出演したのだけど、ちょうどその時、うちの船が遭難して13人が亡くなってしまい、その葬儀がそのまま映画に撮影されたのを覚えています。 (注) 国後島でロケが行われたのは昭和11年である。(「道新Today」1989年6月25日発行の旧島民座談会より)

カニ漁船の遭難を物語の中心に 原作者からお叱り

「生命の冠」の脚本家 八木保太郎さん

私が山本有三先生の「生命の冠」のシナリオを作るために国後へ渡りましたのは、昭和10年の3月頃だったと思います。調査の目的地は国後のほぼ中央にある古釜布でした。そこのカニ缶詰の工場は、根室の碓氷さんの経営でしたが、工場長は野田さんと言い、茨城出身の人でした。

私は、その野田さんから工場の説明をきいたのですが、そこで働く若い男女は出面といって、青森、秋田、岩手あたりから来ていた季節労働者でした。女工さんの仕事は、仕分けしたカニを缶に詰める仕事ですが、朝早くから夜はおそくまで立ち通しの仕事なので、随分過酷な重労働のように思われました。彼女達は疲れると眠気ざましに、女工節という唄を歌っていました。

ある日、海に仕掛けた網を引き上げに出た20屯ほどの船が、カニが網にかかりすぎたことと海がシケのために沈没して、乗組員も10人全員が死亡するという大きな事故がありました。この事故は会社にも従業員にも大変なショックを与えたようでした。

私自身も事故の前後の工場の人たちの気持ちの動きに心を打たれましたので、ドラマの中心にこの事故を取り入れることにしました。1ヶ月ほどかけてこの事故を取材し、シナリオの中心にしたのですが、そのため原作と違ってしまい、映画が出来上がってから、山本先生にお叱りをうけたことは、今も覚えています。(劇団フジ定期公演「流氷を渡る女たち」(昭和57年)解説プログラムより)

エピソード2

ロケ隊の宿は古釜布の沢崎旅館 主役のそっくりさんが登場し、大騒動に

国後島・古釜布の沢崎旅館 沢崎文二さん

一行の千島ロケは昭和11年2月にはじまった。島としては初めての映画でもあり、フルカマップは見物客で大へんな賑わいだった。一行の宿泊場所は沢崎旅館であったので、私の母やお手伝いさん等は海の幸、山の幸とその日の献立に異常な気の配りようだった。

岡譲二は油絵が非常に上手で、格こうのよいホタテ貝を綺麗に磨いては、懇請する人々の出入りも多かった。「浜辺に立つ角巻姿の娘」「馬」「港風景」など素晴らしい出来だった。

また井染四郎はクラリネットに熱中時代か、毎晩二階の部屋から甘くせつない、むせぶようなメロディーが潮騒の音と調和して流れきこえるのである。曲目はロシア民謡の「黒い瞳」に限られていた。

俳優の岡譲二とソックリと普段からマチの話題になっていた根室のSさんがロケ期間中に我が家に現われた。体型も顔もすべてがそっくり似ているので、誰かが面白半分に岡譲二と同じたんぜんを着せたのである。ある晩、廊下で偶然にSさんと岡譲二がスレ違う場面にあい、お互い顔を見合わせ、沈黙また沈黙。

それからまた、ロケ関係のある人がSさんを岡譲二と間違い、びっくりして目をパチクリのハプニングも起きたほどである。あとで私の母や女中さん達から、Sさんも人が悪いとひやかされ、当のSさんは得意満面、鼻高々だったと島では話題となったほどである。

一行と私達家族などで記念撮影もしたし、関係の写真も数多く保存していたが、引揚者の身となり持ち帰ることはできなかった。今となってみれば、惜しまれてならない。              (「国後島回想録(第二部)望郷」(昭和55年)

エピソード3

「原節子と伊沢一郎を一緒にしてやりたかった」

「根室女工節物語」(平成8年)の著者・大隅太八さん

岡譲二の格闘シーンのロケが根室町の西方ハッタリのドングリ林で行われ、大勢の根室人が見物した映画とあって、連日の大入りであった。筆者は、映画はご法度の学校生徒の身で、遂に観る機会を失った。

今でも脳裏に強く焼きついていることがある。当時、この映画を観てきた、下宿のおばさんが帰るなり、「伊沢一郎が、可愛想でならない、原節子と一緒にしてやりたかった・・・」といって、目に涙さえ浮かべ、映画の様子を語るあの時の姿である。

加茂達氏は昭和11年当時、碓氷缶詰(株)の販売主任の要職にあり、「生命の冠」ロケ隊の案内役と世話役を社長から命ぜられ、約2ヶ月の間、古釜布において、スタッフやアクター一同と共に過ごし、その上この映画に、金貸しの端役として出演している。だから、この映画の一部始終に詳しくスチールなども日活から贈られたものであった。(「根室女工節物語」より) 

碓氷家に伝わる宣伝用スチール写真14枚

映画のロケは碓氷缶詰古釜布工場で行われたが、撮影の際に、映画の宣伝用に撮られたと見られるスチール写真が14枚残っていることがわかっている。いずれも根室市の碓氷勝三郎商店店主・碓氷ミナ子氏が所蔵している。

エピソード4

94分のトーキー版(音声付)フイルムは見つかっていない

「生命の冠」にはトーキー版(音声付き)とサイレント版(無声)がある。トーキー版の上映時間は94分だが、1936年(昭和11年)当時、地方の映画館はトーキー版に対応した設備がなく、トーキー版を短縮して55分のサイレント版を制作した。トーキー版では、女工さんたちが「女工節」を歌っている場面が描かれている、サイレント版にはない。根室でロケが行われた格闘シーンも原節子と伊沢一郎の絡みも、カットされている。94分のトーキー版の存在は確認されていない。

札幌日活館の映画「生命の冠」宣伝チラシ見つかる

映画「生命の冠」の宣伝チラシをネットオークションで見つけた。札幌日活館のもののようだ。ロケは根室市内と国後島だけだと思っていたら、札幌、小樽でもやっていた。「生命の冠」は「オールトーキー」とある。

春四月! 風雪未だ酣(たけな)わなる北千島に厳寒と闘いつロケーションを敢行した名優岡譲二の事をお忘れですか?

人生劇場の名監督内田吐夢の全霊を打込んだ良心的製作態度と名優岡譲二・井染四郎・伊沢一郎・原節子・瀧花久子達の燃えるような情熱は遂に映画史上特筆大書さるべき名作を完成しました。

東京より一路北千島へ…北千島・札幌・小樽にロケーションせる待望の日活超特作大雄篇!

キネマ旬報評

北海を写した背景的魅力も大きいし、映画を貫く正義観念的情熱も観客の胸を衝くに違いない。氷雪に固く閉ざされた北千島を生命圏として闘う男性の熱と力だ! 

商約を鉄則として資材も私情も抛(なげう)ち敢然と立ち上がる颯爽たる男の姿に、僕達は清く悲愴な涙を覚えずには居られないのだ。

同時上映はマレーネ・デートリッヒとゲイリー・クーパーのアメリカ映画「真珠の頚飾」と日本の時代劇「勘太郎月の唄」(尾上菊太郎主演)となっている。

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