北方領土の国後島、色丹島から「40人以上」がウクライナ戦争に参加

国後島の話題
色丹島マロクリリスコエ村(斜古丹)の中等学校で、ウクライナ戦争で亡くなった同校卒業生の軍曹を英雄として称える集いが開かれた。2022年12月

国後島、色丹島、歯舞群島を管轄する南クリル地区行政府が2月15日の「国際主義兵士追悼の日」に合わせて、メッセージをテレグラムに掲載している。

その中で、現在、ウクライナ戦争に国後島と色丹島から「40人以上」の住民が参加していると書いている。

また、ロシア国防省の公式発表として、「第二次世界大戦終結以来、150万人以上の国民が国外で30以上の戦争や武力紛争に参加し、そのうち2万5,000人が死亡した」という。

1979年から1989年にかけて、ソ連は65万人以上の軍人と民間人20万人がアフガニスタン領土での軍事作戦に参加した。ソ連の死者は15,051人に達した。(RIAノーボスチ2024/2/15の記事から)

数字の信ぴょう性はひとまず置いておくとして、4年目を迎えるウクライナ戦争でのロシア兵の死者は、第二次大戦後に国外で戦死した総数2万5,000人を、はるかに超えているのだろう。

以下、南クリル地区行政府テレグラム(2025/2/15)から。

2月15日は、ソ連軍がアフガニスタンから完全撤退した日。ロシアでは「国際主義兵士追悼の日」として、国外で公務を遂行したロシア人を追悼している。

アフガニスタンの退役軍人だけに向けられたものではない。国防省によれば、第二次世界大戦終結以来、150万人以上の国民が国外で30以上の戦争や武力紛争に参加し、そのうち2万5,000人が死亡した。

ソ連の兵士と将校は朝鮮、ベトナム、シリア、エジプト、モザンビーク、アンゴラ、エチオピア、ニカラグア、キューバなどの国で戦った。ロシア軍は旧ソ連の共和国の「紛争地帯を鎮圧」し、ユーゴスラビア、アブハジア、南オセチアの平和維持部隊の一員であった。

紛争地帯(注:ウクライナ東部・南部)での軍事作戦に参加した40人以上の兵士が南クリル諸島(注:この場合国後島と色丹島)の島嶼企業で働き、さまざまな軍部隊に所属している。

タイトルとURLをコピーしました