択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった

北方領土遺産
択捉島の天寧国民学校奉安殿(2005年6月、千島歯舞諸島居住者連盟提供)

1999年(平成11) 7月に実施された「北方四島墓地現地調査」において、元島民などで構成する調査団が戦後初めて天寧を訪問した。天寧は1941年11月、真珠湾の奇襲を企図して連合艦隊の機動部隊が密かに集結した単冠湾の西側にある。旧天寧市街地に日本の建物などは全くなかったが、奉安殿だけが残っていることを確認した。

2005年(平成17)6月に天寧を訪問した第1回自由訪問(択捉島:年萌、オンネベツ、トマカラウス)の訪問団が写真を撮影することが出来た。戦後、天寧を訪問できたのは1999年と2005年の2回だけ。2005年以降の奉安殿の状況については不明。

2005年の訪問時には、地元の村長らから「天寧台地には旧日本海軍水路部気象班の建物や旧海軍弾薬庫が残っている」と説明があった。

奉安殿は北方四島では珍しい鉄筋コンクリート造、モルタル仕上げで、正面入口の両脇に円柱状の飾り柱が施されているのが特徴的だ。根室市ハッタリに残る根室国後間海底電信線陸揚庫を彷彿させる。

元島民の手記によると、ソ連軍に占領されてからは、牢屋として使用されたことがあるという。

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