サハリン・コルサコフ(旧大泊)にある樺太統治時代の史跡が消失の危機に瀕している。コルサコフでは過去2カ月の間に、オホーツクエ村にあった日本の忠魂碑(富内稲荷神社)とコルサコフ内務省付近にあるアニワ神社(亜庭神社)の石段が破壊されている。

コルサコフ市の主要道路であるソビエツカヤ通りには、大泊(現コルサコフ)にある北海道拓殖銀行大泊支店の廃墟が建っている。1920年代に建てられたもので、サハリン州の文化遺産に指定されている。新古典主義とアール・ヌーヴォーの要素が建築様式に大きく影響している。この通りの開発は1905年に市が日本統治下に移管された際に始まった。

銀行の建物はサハリン州の文化遺産として2012年に、州郷土博物館の運営管理下に移管された。建物の修復問題は、数十年にわたり活動家や市当局から繰り返し提起されてきた。2016年には建物内に「極東海域天然資源利用博物館」を設立することが決定された。2年後には、建物の再建工事の入札が開始された。
州郷土博物館は、州政府が現在再建のための資金調達に取り組んでいると発表している。一方、建物は数年間にわたり仮設のファサードで覆われ、閉鎖状態が続いている。
2022年、2年以上の作業を経て、「コルサコフにある1928年建設の銀行建物を博物館として修復・改修する」プロジェクトの設計が完了した。この設計図は、国立の歴史、文化、建設の専門家から高い評価を得た。州郷土博物館によると、修復・建設工事の費用は4億ルーブルを超えると見積もられている。
修復工事が完了すると、州郷土博物館の分館としてG.I.ネヴェリスコイ提督海洋博物館(仮称)が開館する予定となっている。
コルサコフ地区では他にどのような日本の建造物が消失したのか?
コルサコフにあるアニワ神社(亜庭神社)に残されていた石の階段が11月初旬に取り壊された。地区行政府はサハリン・メディアに対し、古い階段は文化遺産ではないため、工事前に事前評価や承認は不要であると述べた。老朽化により住民に危険を及ぼしていたため取り壊され、新しい階段に建て替えられるという。

アニワ神社は1914年8月14日に創建された。ソ連時代、この神社での祭儀は日本人の島からの帰還まで続けられ、1946年12月20日に焼失した。
10月17日、コルサコフ市のナタリア・クプリナ市長は、10月16日にオホーツコエ村で何者かが日本の忠魂碑を破壊したと報告した。「住民によると、掘削機は暗闇の中で作業していたとのことです。村長と文化局長が現在警察署に届け出を出しています。私はこの事態を放置するつもりはありません」と市長は語った。
トンナイ村(富内=現在のオホーツクエ)にある稲荷神社は1921年に建立された。境内には、高さ5メートルのコンクリート製の石碑「忠魂碑」が二層の台座の上に建っている。戦死した日本兵を慰霊するために建てられた。(サハリン・メディア2025/11/10)




