1945年8月、南サハリンで起きた日本軍による戦争犯罪
FSB が解除した機密文書を基に勝利博物館の職員が出版

サハリン

1945 年 8 月に南サハリンで行われた日本軍の戦争犯罪に焦点を当てたブックレット「1945年8月の熱き日々」の発表会がユジノサハリンスクで開かれた。

著者はポベダ博物館・記念館(戦勝博物館)の学術秘書エレナ・サヴェリエワさんで、2023年にロシア連邦保安庁から同博物館・記念館に移管された文書を基にしている。

「1945年8月の熱き日々」は、日本軍による戦争犯罪で犠牲者となった人々の運命について語っている。これらの人々はサハリンの地で暮らし、働き、そして亡くなっていったが、多くの場合、他人の名前で呼ばれていた。

「この本は、過去の悲劇を忘れないための記憶喪失治療薬です。これらの出来事は今日でも重要です。なぜなら、ファシズムは生きているからです。当時の文書を読むと、すべてのことを違った目で見るようになります」とエレナさんは指摘した。

この本には、NKVD(内務人民委員部)とMVD(ソ連内務省)の将校たちが日本軍などによる残虐行為の1年後にまとめた調査議事録が掲載されている。南サハリンで起きた放火、民間人の銃撃、女性や子供の大量殺戮といった恐ろしい出来事が記されている。

サハリン州文化・公文書省のノンナ・ラヴリク大臣は「文書を整理するのも一つの方法ですが、事実を紙に書き記して、読んで忘れられないようにすることは全く別の話です。エレナはそれをする方法を知っています。読み始めてすぐ、私は本に引き込まれていきました。殺人が、日本人にとって日常生活の一部だったことは恐ろしいことです。しかし、最も恐ろしいのは、その後の世代が、この残酷さと憎しみの中で育まれてきたことです」と語った。

日本兵や防衛隊、警防団のメンバーの行為は、その残酷さにおいて衝撃的だ。彼らは民間人を殺し、強奪し、放火し、拷問した。最も恐ろしいのは、これらの犯罪が日常的に行われていたことだ。昼食前や夕食後に行われ、死体は家の横やエンドウ豆畑に埋められた。

ポベダ博物館・記念館のユーリ・フィリペンコ館長は「エレナは複雑で難しいテーマを人々の心に残る形で伝えるという稀有な才能を持っています。彼女ほど深く理解してこれらの悲劇について語れる人はいません」と強調した。

機密解除された文書の博物館への移管は、「時効なし」と呼ばれる大規模プロジェクトの一環である。その目的は、戦争犯罪で苦しんだ民間人の悲劇の歴史的記憶を保存することである。(astv.ru 20204/10/21他)

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