色丹島・穴澗の元村長レフ・セディフさん 市長が「サハリン州名誉市民」証書贈呈

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北方領土の国後島、色丹島、歯舞群島を行政区域としている南クリル地区のパベル・ゴミレフスキー市長は、2月24日から27日まで、ナタリア・サヴォチキナ地区議会議長とともに色丹島を実務訪問した。

クラボザボツコエ村(穴澗)を訪れた市長は、レフ・コンスタンチノヴィッチ・セディフさんの家族を訪問し、南クリル地区住民として初めて知事から「サハリン州名誉市民」の称号が贈られたセディフさんに証書と記念品を贈呈した。

レフ・セディフさんは、ミチュリンスク食品工業大学を卒業後、色丹島にやって来た。島の缶詰工場の1つでキャリアをスタートし、缶詰製造技術者からオストロブノイ水産加工場のゼネラル・ディレクターに昇りつめた。この工場は、1977年に、色丹島を拠点とするプリモリブプロムとサハリンリブプロムが合併してできた加工場で、漁船団を含む28部門をかかえる国内最大の漁業複合施設となった。

市長は「南クリル地区の歴史上初めて、知事の命令により、サハリン州の総合的な発展に貢献した優れた功績により、サハリン州名誉市民の称号が授与されました。レフ・コンスタンチノヴィッチ氏は優れた組織者であることを証明しました。オストロブノイ水産加工場は全国的に有名で、毎年、サンマの油漬けなど 32 種類の缶詰めを数千万缶生産していました。セディフ氏は生産施設の建設だけでなく、快適な住宅、クラブ、図書館、教育機関、幼稚園、診療所を建設しました」と功績を称えた。

また、マロクリリスコエ村(斜古丹)を訪問した市長は、大祖国戦争中にナチスの強制収容所で生まれたマヤ・オチロワさんの親族と面会した。現在、マヤ・オチロワさんは重病である。市長は、ソ連人民の大祖国戦争勝利80周年を記念して、家族に記念メダルを贈呈した。

マヤ・イワノヴナさんは1975年から色丹島に住み、オストロヴノイ水産加工場で会計士として長年働いた。

母親のヴェラ・メルニチュクさんは1941年にドイツに移送され、1945年に強制収容所でオチロワさんを出産した。解放後、オチロワさんはウクライナで育ち、会計士になるためにナウモフスキー農業大学で学んだ。その後、ベラルーシのゴメリ市に移り、1975年に組織的な募集の一環として色丹島に来た。水産加工場に38年勤務するとともに、マロクリリスコエの文化会館の民俗合唱団メンバーとしても活動した。(kurilnews.ru 2025/3/3)

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