「真珠湾攻撃の復讐」米潜水艦ナーワル 択捉島・留別、天寧を砲撃 

知られざる歴史・秘話
真珠湾攻撃。潜水艦基地から海軍工廠方面を望む。左側にナーワル(SS-167)がドックに固定され、頭上には日本軍機が見える

択捉島東岸、太平洋に口をあけた単冠湾に集結していた空母6隻を含む海軍機動部隊30隻がハワイ真珠湾に向けて密かに出撃したのは1941年11月26日午前6時だった。

12月8日、機動部隊が真珠湾に奇襲攻撃をかけ、大戦果を挙げて日本中を狂喜させてからわずか7カ月後。1942年7月24日から26日にかけて、択捉島のオホーツク海側にある留別、宇多須都、内保と単冠湾西岸の天寧が米潜水艦の砲撃を受けた。根室との定期航路の貨客船や漁船、運搬船など6隻が沈没、死者行方不明者は33人に上った。

攻撃した米潜水艦は太平洋艦隊潜水艦部隊所属の「USSナーワル(NARWHAL)」で、真珠湾が攻撃を受けた日はドッグに入っていて、日本の雷撃機の攻撃を免れ、無傷のまま残った。

「島の人たちは真珠湾攻撃の復讐と受け取った」(目撃した留別在住の阿部登さん=「忍従の海 北方領土の28年」読売新聞社1973より)

1941年12月7日(現地時間)、真珠湾攻撃。潜水艦基地から海軍工廠方面を望む。左手前の潜水艦はUSSナーワル(SS-167)。ナーワルのすぐ後ろには駆逐艦USSバグリー(DD-386)が見える。バグリーの右側には巡洋艦USSホヌル(CL-48)、USSセントルイス(CL-49)、USSサンフランシスコ(CA-38)、USSニューオーリンズ(CA-32)が停泊している。遠く右中央には1010ドックが見える。中央手前の水兵たちは白い制服にピストルベルトを着用している。撮影日1941年12月7日、米海軍公式写真 80-G-32704(米海軍歴史遺産司令部)
1941年12月7日(現地時間)、真珠湾攻撃。潜水艦基地から海軍工廠方面を望む。左手前の潜水艦は「ナーワル」(SS-167)

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