第二次大戦最後の戦いとなった北千島・占守島での日ソ戦。ロシア国防省監修「大祖国戦争1941-1945 第4巻シュムシュ上陸とクリル諸島の奪還」(2015年)には、ソ連軍による占守島侵攻直前の1945年8月16日、モスクワ駐在のアメリカ軍使節から、アメリカ軍が占守島と幌筵島の飛行場を爆撃するという連絡があったとの記録が掲載されている。さらに同日、ソ連の太平洋艦隊参謀長は、アメリカ軍に対して航空機による「対処」(対処とは爆撃のことだろう)を提案するよう、ソ連海軍参謀総長に要請している。
占守島の戦いでは、アメリカが極秘作戦「プロジェクト・フラ」でソ連に提供した16隻の上陸用舟艇などが使用されていたことは知られているが、ソ連軍の占守島侵攻作戦にあたり、アメリカ軍は武力支援まで行っていたのだろうか–。

「戦闘日誌170 第3号極東方面(太平洋艦隊)1945年8月15日~23日」(抜粋)
8月16日 ウラジオストク発太平洋艦隊宛
モスクワ駐在の米軍使節は、米第92艦隊特殊任務飛行隊による作戦に加え、千島列島地域における日本艦船の殲滅、および米空軍第12軍による占守島の片岡飛行場、幌筵島の柏原飛行場、そして天候が許せば千島列島北部の沿岸施設の爆撃を行う予定であると報告した。航空機はグリニッジ標準時21時から2時まで目標上空を通過する予定である。(クレトフ)
8月16日 海軍参謀総長殿
14時50分から15時30分まで、ロパトカ岬砲台は占守島の砲台鎮圧のため砲撃を行った。小泊岬の敵砲台は砲撃により鎮圧され、敵が砲台を設置していた岩礁に乗り上げていたタンカー「マリウポリ」は炎上した。海軍基地は、占守島を占領するための上陸作戦を準備している。(ユマシェフ、ザハロフ)
8月16日 海軍参謀総長殿
8月16日20時。占守島および幌筵島への上陸作戦が開始される。占守島への上陸は8月17日23時に開始される。アメリカ軍に連絡し、航空機による島嶼への対処を提案してほしい。(フロロフ)

8月16日 太平洋艦隊参謀長殿
アメリカ軍には、貴官による部隊の上陸後、この件について通知する。部隊の上陸の開始と終了を直ちに報告してほしい。(クチェロフ)
8月17日 海軍参謀総長殿
戦闘報告 第20号 太平洋艦隊 21時00分
日中、第128航空師団は占守島の軍事目標に対し、別々のグループに分かれて爆撃を実施した。
8月17日 海軍参謀総長殿
第1梯団は6時00分にアバチャ湾を出発した。第2梯団は7時06分に出発。(フロロフ)
8月18日 参謀総長殿
4時12分、占守島への上陸が開始された。(フロロフ)
8月18日 ウラジオストク発太平洋艦隊宛
アメリカはモスクワに対し、米潜水艦が出発すると知らせて来た。

