色丹島に残る冷戦の骸「戦車の丘」に10台の戦車砲塔 伝説の重戦車IS-2とIS-3も

知られざる歴史・秘話
色丹島・穴澗湾をにらむ砲塔

 あまり知られていないが、色丹島のクラボザボツコエ村(穴澗)から数キロ離れた場所にある「タンコバヤ・ソプカ」(戦車の丘)がある。ここでは8 台の IS 3 戦車と、地中に埋められた珍しい 2 台の IS 2 戦車で構成される戦車砲台 (RTOT) の要塞が保存されている。戦車は塹壕と塹壕壕によって互いに連結されている。合計で10両の戦車の一部は色丹島に移送される前は、第二次世界大戦の戦闘に参加した可能性がある。この場所は地元の住民、特に子供たちに人気がある。心ゆくまで戦車に登ったり、中に潜りこんだり、さらには砲塔を回したりすることもできる。(Shikotan telegraph 2025/4/30)

 10両の戦車の中には、「ヨシフ・スターリン」のイニシャルを冠した伝説の重戦車IS-2(ИС-2)とIS-3(ИС-3)が含まれている。1943年から1953年にかけてソ連で生産された戦車で、現在ではわずかしか残っておらず、要塞化され、まとまった形としては他にはどこにもないといわれる。
 1979年2月、中越戦争の勃発により、ソ連と中国の国境地帯の緊張が再び高まったことから、国境地帯にプレハブ鉄筋コンクリート構造物と戦車砲塔を組み合わせた構造物が建設された。
 1970年代後半、日本の自衛隊の戦闘能力の向上と国際情勢の悪化により、ソ連指導部は南クリル地区(国後島、色丹島、歯舞群島)とクリル地区(択捉島)の領域で防衛を強化することを決定した。1978年5月、この地域の防衛を目的として第18機関銃砲兵師団(プラド)が編成され、この部隊によって、1980年代初頭にかけて要塞が築かれた。
 色丹島に残る戦車砲台は、穴澗湾やホロベツ湾への敵の上陸を阻止するため戦車射撃点中隊(RTOT)の要塞が建設された。戦車砲台には毎日、当直員が配置され、2門の砲塔砲は5分以内に戦闘準備完了状態に達しなければならず、残りは15分以内に完了する必要があった。各砲塔には、自動車化小銃部隊用の銃座を備えた塹壕が設けられた。砲の弾薬は、戦車弾2個分(80発)。主な弾薬は砲塔下部の区画に搭載され、砲弾は砲塔下部と砲塔区画の間のハッチから供給された。色丹島の戦車砲台は1994年まで運用されていたという。

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