戦後80年、北方領土の日本人島民とロシア人島民

国後島の話題

国後島在住の元教師で同地区の名誉市民でもあるユーリ・アレクセーエヴィッチ・コロビツィンさんが75歳の誕生日を迎えるという記事が行政府のテレグラムで紹介されていた。

今年は戦後80年、北方四島へのソ連軍侵攻から80年でもあるが、この元教師はソ連軍侵攻から5年後に島で生まれたことになる。四島で生まれたロシア人島民の最初の世代だ。

国後島生まれの私の母親の父、つまり私の祖父が島に渡ったのは1921年(大正10年)頃だ。ソ連兵に小銃を撃たれながら命からがら島を脱出したのが1945年11月だから、島で生活した期間は24年にすぎない。

日本人島民の四島への本格的な入植が始まったのが明治後半からとして、島での生活期間は長い人でも60年というところだろう。

この元教師のように、終戦直後に島で生まれたロシア人島民が今も島で暮らしているケースは稀だと思うが、それにしてもソ連占領後にロシア本土から移住してきたロシア人島民の方が、日本人島民よりも島での生活が長いという現実…時の経過は残酷で、容赦ない。

この元教師の話だ。彼はユジノクリリスク(古釜布)で生まれ育ち、そこで高校を卒業した後、いったん島を出て極東国立大学の化学科に入学した。しかし、夢だった化学者にはなれず、故郷の国後島に戻った。

1973年から中等学校の化学と物理の実験助手としてキャリアをスタートし、ユジノサハリンスク教育大学に入り直して資格を取り、国後島の南クリル中等学校に復職した。

化学教師のポストは既に埋まっていたため生物学教師のポストに就き、定年まで何世代にもわたって教え続けた。

数年前、教育分野での優れた功績により、「南クリル地区名誉市民」の称号を授与された。現在、妻と一緒に国後島に住み、健康的で活動的なライフスタイルを送り、地域で行われる社会的に重要なイベントに定期的に参加している。(南クリル地区行政府テレグラム2025/1/24)

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