4月10日午後12時40分(現地時間)、南クリル地区の名誉市民であるユーリ・イオシフォヴィチ・トマソンさんが色丹島の病院で息を引き取った。85歳だった。葬儀は4月13日に執り行われる。追悼会は、クラボザボツコエ(穴澗)にあるクリルスキー・ルィバク支店のカフェテリアで開催される予定。
※ビザなし交流の色丹島の受け入れに携わり、今も斜古丹の日本人墓地の清掃などをしてくれているイーゴリ・トマソンさんのお父上です。
トマソンさんは1941年8月16日、沿海地方シュコトヴォ村に生まれた。兵役義務を果たし、1964年に除隊して故郷に戻った。「シュコトヴォの家は崩れかけていて、親戚も誰も残っていませんでした。しばらく鉄道で働いていました。妻(タマラ・アレクサンドロヴナさん)は私より先に色丹島へ行き、私も後を追いました」とトマソンさんは回想する。彼が到着したのは9月。南クリル諸島の景色に若者は心を奪われた。しかし、ゆっくり休む暇はなかった。色丹島は当時、急速に発展していた島だった。ユーリー・トマソンさんのキャリアが始まった。

最初は単純な作業員、荷積み係として働き、90缶入りの缶詰めの箱を運んだ。その後、機械工になり、少し後には現場監督になった。間もなく、色丹島に水上組立・建設チームが組織され、そのチームの副責任者に任命された。
1980年代に入ると、トマソンさんの人生に変化が訪れ始める。管理職でかなりの経験を積んだ彼は、建設工場の責任者になる機会を与えられた。国は崩壊寸前だった。工場は閉鎖された。トマソンさんは、1991年に色丹島で最初の協同組合を設立し、海産物の漁獲と取引を開始した。2007年まで養殖業の復興にも尽力した。その卓越した功績により、幾度も名誉賞と「労働功労者」の称号を授与された。
トマソンさんは、地区住民から尊敬と信頼を得ていた。南クリル地区議会議員に2度選出された。2005年にはサハリン記念誌「サハリン州住民の軍事的功績と労働の栄光の書」に名前が掲載された。2020年には、南クリル地区の社会経済発展に多大な貢献をした功績により、「名誉市民」の称号を授与された。長年の漁業への貢献、そして住民からの厚い尊敬は、彼の功績を物語っている。(Shikotan Telegraph2026/4/10)


