2026.04.26付で「国後島のセセキ浜 日本人が造った海浜温泉はまだ残っていた」と書いたが、戦前に日本人が造ったコンクリート製の浴槽自体は2015年の冬の嵐で消滅したようだ。以下、「国後島|ツアー|エコパーク|テレグラム」(2026/10/13)より。

国後島北部で最も有名な場所といえば、それは「チャイカ(※カモメ」」だろう。この温泉はもともと、日本人によって開発された。温泉水を汲み上げるための井戸が掘削され、およそ2メートル四方の小さな正方形の浴槽が2つあった。日本人が造ったものだと考えられている。
1950年代には、浴槽の上に丸太造りの小屋が建っており、そこへパイプで温泉水が引き込まれていた。1980年頃には、もう小屋はなくなっていた。交通手段は限られていたが、乗用車でも通れる道があった。

UAZ(ワズ:ロシア製の四輪駆動車)で海岸沿いを走っていると、突然、何もない開けた場所に、かなり高さがある正方形の浴槽が2つ、ぽつんと現れる。他には何もない。特に冬は最高だった。小さな温泉の一つで温まり、海へ駆け込み、外気に触れて肌にピリッとした刺激を感じる。そして、大きく柔らかな雪が舞い落ちる中、海岸沿いをゆっくりと温泉の方へ歩いて戻る……。波の音以外、あたりは静まり返っていた……
湯船は順番に湯を抜いて清掃されていたため、いつ訪れても、少なくとも一つは、ふらりと立ち寄った客に至福のひとときを提供できる状態にあった。

国後島の建設・設備管理事務所(SMU)が、職員のレクリエーション用として、既存の日本式浴槽2つの隣に大きく浅い浴槽を増設した。これにより、それまで保たれていたバランスが崩れてしまった。大きな浴槽にはなかなかお湯が溜まらない一方で、小さな浴槽は空のままか冷水が溜まっている状態になり、壁は崩れ始め、ゴミが投げ込まれるようになった。その後、大きな水泳用プールも増設された。
2015年、猛烈な嵐が日本時代の浴槽の残骸を押し流し、それらは事実上消滅することとなった。その際、SMUが作ったプールも破壊された。

その年、愛好家たちが水泳用プールの隣―海からより離れた反対側―に新しいコンクリート製の浴槽を建設した。それが現在見られる浴槽だ。クリル自然保護区のウェブサイトには、建設の様子を記録した詳細な記事が掲載されており、作業中の写真や参加者リストも紹介されている。



