サハリン在住のブロガー、アレックス・カラフト氏が、人里離れた場所にある日本の廃村を発見した。かつてアニワ灯台(※日本が建てた中知床岬灯台)の業務を支えるために建設されたこの集落は、やがて神秘的な伝説の舞台となった。その地の秘密を解き明かすべく、ブロガーはカメラを手に単独探検へと乗り出した。

アレックス・カラフト氏はフォロワーに対し、かつての「ユジュナヤ(南部)」監視所の近く、深い森の奥深くに隠された謎の集落「サット」の場所を特定するにあたり、東京在住の人物から協力が得られたと明かした。1939年に設立されたこの集落は、8棟のコンクリート製建造物からなる小さなものだった。驚くべきことに、これらの建物は今日でもその姿を留めていると、同氏は述べている。

「第二次世界大戦後、この集落はソ連の国境監視所へと転用され、長年にわたり国境を警備していましたが、やがて完全に放棄されました。今日、この場所は神秘的な伝説に包まれています。古くからの地元住民はアニワ岬から立ち込める濃い黄色い霧について語り、国境警備隊員たちは夜になると霧の中に何十もの光る目が現れ、監視所を見つめていたと主張していました」と、アレックス・カラフト氏は強調した。
険しい道のりにもかかわらず、サハリン出身の彼は、かつての兵舎や監視塔、その他日本統治時代やソ連時代の建造物を発見することに成功した。(astv.ru 2026/8/6)


サハリン・インフォ2015年5月25日
トリ・カムニャ岬(Мыс Три Камн)。その周囲には、日本軍が敷設したコンクリート道路が地平線まで続いている。
ゴレミカ川(реки Горемыка)の河口。かつて私たちの国境警備隊の拠点はここにあった。さらに遡ると、日本の灯台守たちがサトウと呼ばれる特別に建設された集落で越冬していた。専門家や使用人の住居、倉庫、無線局が建てられ、専門家の住居には浴槽が備え付けられていた。

ハバロフスク・チャンネル
アニワ灯台は1939(昭和14)年10月に竣工しました。当時「中知床灯台」と呼ばれ、逓信省灯台局の三浦忍技手によって2年数カ月をかけて建設されました。周辺に資材を置く敷地のスペースがなく、約8km離れた海岸の空き地に基地を設け、そこから船で通い工事をしたそうです。三浦技手は、大阪港北突堤灯台の設計もした人物です。
灯台は岩礁の上に乗った高さ31m、地上2階、地下1階の楕円系平面の基部と、9層からなる灯塔で構成されています。灯台の地下には照明用のディーゼルエンジンとバッテリーが装備されていました。
ウィキペディア
建設は1937年6月に着手され、1939年10月に竣工している。工事は逓信省の直轄で実施されて工費は60万円、敷地に資材を置くことができなかったため、北方に約8 km離れた中知床岬西岸の狭い空地に工事ヤードを設置し、船により人員や資材を運搬して工事が進められたが、濃霧や強風・波浪の影響もあって工事は困難なものとなっていた。


