仏紙『ル・フィガロ』特派員が国後島の海岸から日本を望む「その近さに驚いた」

国後島の話題

フランスの新聞『ル・フィガロ』の特派員アラン・バルリュエ氏が長年の夢を叶え、国後島を訪問し4日間過ごした。南クリル諸島への旅は同記者に強い印象を残した。島の自然の美しさ、日本との近さ、そして地元住民の生活状況に感銘を受けた。地元紙『グベルンスキエ・ヴェドモスチ』のインタビューで、体験について語った。

バルリュエ氏は、数年前からクリル諸島を訪れたいと考えていたと明かした。以前にも極東やサハリン州を訪れたことはあったが、今回の旅は特に国後島を訪問することに重点を置いていた。

数日間にわたり、フランス人特派員はゴロヴニン火山(泊山)のカルデラやメンデレーエフ火山(羅臼山)の噴気孔地帯を訪れ、ユジノクリリスク(古釜布)周辺を散策した。彼は特に現地の自然に感銘を受けた。クマの姿を見ることはなかったが、キツネは頻繁に見かけたという。「自然は壮大で、独特で、美しいものでした。クマをぜひ見たかったのですが、叶いませんでした。もっとも、地元の人たちからは『見なくてよかったんですよ』と言われましたが」とバルリュエ氏は語った。

国後島の海岸からは日本を望むことができ、特派員はその近さに驚かされた。しかし、彼の関心は景観だけにとどまらなかった。島の人々の日常生活を自分の目で確かめたいと考え、地元住民と対話したり、地域の施設を訪問したりした。

バルリュエ氏は、この離島の生活環境について肯定的な評価を下した。彼の観察によれば、現地では学校、幼稚園、スポーツ・文化施設が稼働しており、物資供給に関する一般的な問題も見受けられなかった。「サハリン州での生活と、例えばモスクワでの生活との間に根本的な違いは見られませんでした。公共交通機関は円滑に運行しており、店舗の品揃えも豊富で、物資の不足もありません」とジャーナリストは指摘した。

バルリュエ氏はまた、自身の家族とロシアとのつながりについても明かした。彼の母方の祖父母はロシアからの移民だった。彼は学生時代にロシア語の学習を始め、現在も続けている。この『ル・フィガロ』紙の特派員は、ロシアで7年間活動している。

今回の訪問を経て、バルリュエ氏はクリル諸島に関する独自の記事を執筆する予定だ。彼は、旅の中で得た印象や人々との対話は、人工知能(AI)が生成する文章では決して代替できないものだと語っている。「サハリンやクリル諸島で私が経験し、目にし、感じたこと、そして対話した人々――それらは唯一無二の体験でした。記事の中でそのことについて触れるつもりです」と、特派員は強調した。(life.ru 2026/10/9)

『ル・フィガロ』紙特派員のアラン・バルリュエ氏が国後島訪問(sakh.online 2026/10/7)

国後島の類まれな自然と、この島を最高の居住地だと考える人々の姿は、外国人特派員に深い感銘を与えた。アラン・バルリュエ氏は、同胞にはあまり知られていない場所であるクリル諸島を訪れることを長年夢見ていたと語った。バルリュエ氏は新聞『グベルンスキエ・ヴェドモスチ』の編集部を訪れ、自身の印象を語った。

国後島での4日間

このフランス人ジャーナリストは、これまでにも何度かこの島嶼地域を訪れている。「ロシア極東には何度も足を運んでいます。サハリン州には2回行きました。最初は数年前の軍事演習の際で、ウラジオストクへ向かう前に島に数時間滞在しただけでした」と振り返る。バルリュエ氏によれば、ウラジオストクで開催される東方経済フォーラムにも何度か参加したことがあるという。今回の同地域訪問の目的は、クリル諸島を訪れることだった。

親切な地元の人々が、フランス人ジャーナリストに地域の主な見どころを案内してくれた。「ゴロヴニン火山のカルデラやメンデレーエフ火山の噴気孔地帯を訪れ、ユジノクリリスク周辺も案内してもらいました。自然は壮大で、独特の美しさがありました。クマをぜひ見たかったのですが、見ることはできませんでした。地元の人たちからは、クマに遭遇しなくて本当によかったと言われました。キツネはよく見かけましたけどね」と、ジャーナリストは笑顔で語った。

また、国後島の海岸から日本を眺め、隣国がいかに近いかということに驚かされたというエピソードも披露した。「国後島で一般の人々がどのような生活を送っているのか、興味がありました。そこで、地元住民のオクサナ・リズニッチさんを紹介してもらいました。彼女は、かつての島の暮らしや現在の生活の様子について、いろいろと教えてくれました。残念ながら時間が限られていたため、『銀の沼(セレブリャニエ・ボロタ)』を訪れることはできませんでした。(※編集部注:オクサナ・リズニッチさんは、『極東ヘクタール』プログラムで取得した土地に、エコツーリズム用の遊歩道『銀の沼』を整備しました)」と、アラン・バルリュエ氏は語った。

インタビューの中で、このフランス人ジャーナリストは、国後島の快適さやインフラの整備状況に嬉しい驚きを感じたと述べている。島という隔絶された場所にありながら、住民は慣れ親しんだ生活の利便性から切り離されているとは感じていない。近代的な幼稚園や学校、スポーツ施設、博物館、その他の社会施設が整っているからだ。「サハリン州での生活と、例えばモスクワでの生活との間に、根本的な違いは見当たりませんでした」とジャーナリストは語る。「公共交通機関は正確に運行され、店には商品が豊富に並び、物不足もありません」

ロシアにルーツを持つフランス人

『ル・フィガロ』紙のジャーナリストは、7年にわたりロシアで活動している。彼が所属メディアからこの取材の任務を任された大きな理由は、ロシア語を巧みに操れることにあった。彼がロシアに関心を持ったきっかけは家族とのつながりだ。母方の祖父母がロシア出身だった。彼はまず、自身の祖先の故郷であるロストフ地方を訪れた。

「祖先が暮らしていたロストフ・ナ・ドヌを訪れたことは、私にとって非常に重要な出来事でした。母方の祖母は19世紀の末にそこで生まれたのです。当時の面影はほとんど残っていませんが、地元の歴史家や専門家といった人々と会い、当時の様子について詳しく話を聞くことができました」と彼は振り返った。

アラン・バルリュエ氏は、家庭でロシア語が話されていなかったことを残念に思い、学生時代に独学で言語を習得しなければならなかったと話した。しかし、それだけの知識では不十分だった。「まだその言語を学んでいる最中で、オンライン・プラットフォームで講師から教わっています」と彼は説明した。

アランはロシアの文化を素晴らしいものだと考えている。「これまでに多くのコンサートに足を運びました。モスクワでは、素晴らしい場所や美術館を数多く訪れました。ポレノフやレーピンといった芸術家が大好きです。モスクワの美術館には頻繁に通っていますが、一番のお気に入りは、やはりトレチャコフ美術館ですね。ここサハリンでも、地元の美術館をいくつか訪れました。例えば、『勝利』記念複合施設に行きましたし、国後島にある、こぢんまりとしていながらも素晴らしい郷土博物館にも足を運びました」と、ジャーナリストは語った。

タイトルとURLをコピーしました